「愛知県 豊田市 有間町」について
郵便番号 | 〒444-2827 |
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住所 | 愛知県 豊田市 有間町 |
読み方 | あいちけん とよたし あんまちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23211 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
− |
周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 豊田市 有間町」の読み方は「あいちけん とよたし あんまちょう」です。
- 「愛知県 豊田市 有間町」の郵便番号は「〒444-2827」です。
- 「愛知県 豊田市」の地方公共団体コードは「23211」です。
「有間町」の概要 from Wikipedia
有間町(あんまちょう)は、愛知県豊田市の地名。
地理
豊田市の北東部にあり、矢作川が複雑に湾曲するところの左岸に沿っている。旭地区(旧東加茂郡旭町の町域にほぼ相当する)に属する。北で榑俣町、北東で上中町・島崎町、東で小渡町・小田町、南で大坪町、南西で笹戸町、北西で平畑町と隣接する。人家は主として町域西部、及び宇内戸(うないと)と呼ばれる町域北部に、それぞれ点在している。
産業は農林業が中心。また、兼業農家が多数を占める。字一覧
赤坂(あかさか)/池ハサ(いけはさ)/石田(いしだ)/一二洞(いちにがほら)/入之洞(いりのほら)/有洞(うとう)/宇内戸(うないど)/大平(おおひら)/折々地(およじ)/カムリ/川脇(かわき)/木和田(きわだ)/桑凹(くわくぼ)/桜凹(さくらくぼ)/下平(しもだいら)/尺寸(しゃくじ)/惣作(そうさく)/空山(そらやま)/竹ノ下(たけのした)/寺ノ下(てらのした)/仲田(なかだ)/中通(なかどおり)/前平(まえひら)/見竹(みたけ)/峰垣戸(みねがいと)/峰ケ洞(みねがほら)/簗ケ崎(やながさき)/山本(やまもと)/横手(よこて)/横手下(よこてした)
沿革
江戸期には有間村として三河国加茂郡に所属していた。
1635年(寛永12年)当時- 栗原藩領であった。
1638年(寛永15年)- 栗原藩が廃絶。以後、有間村では領主の激しい交代が行われたという。また、幕府の直轄地になったとも言われる。
1681年(天和元年)- 旗本本多忠周の知行地となる。
1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が東加茂郡と西加茂郡に分割される。それに伴い、所属が加茂郡から東加茂郡に変更される。
1889年(明治22年)10月1日- 町村制施行により、有間村、菊田村、東加塩村、押井村、万根村、榊野村、杉本村、笹戸村、市平村、池島村、東萩平村、大坪村が合併して東加茂郡野見村が誕生し、有間村は野見村大字有間に変更される。
1906年(明治39年)5月1日- 野見村、介木村、生駒村、築羽村が合併して旭村が誕生し、野見村大字有間は旭村大字有間に変更される。
1912年(明治45年)- 杉本から旧菊田村の地域を編入する。
1949年(昭和24年)- 旧菊田村の地域と小田地区(小田(こだ)、宮ノ前(みやのまえ)、ハサマ、扇田(おおぎだ)の5字)が分離する。
1967年(昭和42年)4月1日- 旭村が町制を施行し旭町になる。これに伴い、住所表示が旭町大字有間に変更される。
2005年(平成17年)4月1日- 旭町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市有間町に変更される。世帯数と人口
2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
寺社
白鳥神社/旧有間村村社。1472年(文明4年)の棟札が残っている。
散布地
竹ノ下(たけのした)遺跡/宇内戸(うないと)遺跡/桑凹(くわくぼ)遺跡/いずれの遺跡も縄文時代のもの。
その他墓
山本第1古墓/中世時代の古墓。
その他
町域の各所に宝篋印塔、五輪塔など7基が散在するが、そのうち完全な形で残っているものは、山本にある五輪塔2基、及び桑凹の五輪塔1基とされる。
日本郵便
郵便番号 : 444-2827(集配局:旭郵便局)。
脚注
出典
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。 /『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。外部リンク
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