「埼玉県 さいたま市 浦和区 本太」について
郵便番号 | 〒330-0052 |
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住所 | 埼玉県 さいたま市 浦和区 本太 |
読み方 | さいたまけん さいたましうらわく もとぶと |
この地域の 公式HP |
※「さいたま市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
11107 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「埼玉県 さいたま市 浦和区 本太」の読み方は「さいたまけん さいたましうらわく もとぶと」です。
- 「埼玉県 さいたま市 浦和区 本太」の郵便番号は「〒330-0052」です。
- 「埼玉県 さいたま市浦和区」の地方公共団体コードは「11107」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「本太」の概要 from Wikipedia
本太(もとぶと)は、埼玉県さいたま市浦和区の町名。現行行政地名は、本太一丁目から本太五丁目。住居表示実施地区。郵便番号は330-0052。
地理
さいたま市浦和区南東部の大宮台地上に位置する。浦和駅東口から近く、おもに住宅地となっている。歩道が狭隘である国道463号の拡幅工事が進行中。
縄文時代中期の縄文遺跡である本太四丁目遺跡が地区内に所在する。地価
住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、本太一丁目18-21の地点で34万9000円/m2となっている。
歴史
奈良時代には律令制による政庁が本太に置かれていた。その跡地は氷川神社となり、現在まで残っている。
江戸時代は足立郡浦和領に属する本太村であった。元太村とも記される。
発足時は幕府領、1703年(元禄16年)より知行は旗本前田氏および幕府領となるが、1722年(享保7年)より幕府領に統合される。
幕末時点では足立郡本太村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった。
1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
1869年(明治2年)/1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置、同県の管轄となる。県庁は東京府馬喰町に置かれる。
9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。
1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
1873年(明治6年) - 延命寺の境内に仮校舎を設置して本太学校を開設する。
1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、上木崎、下木崎、駒場、瀬ヶ崎、針ヶ谷、本太、北袋、木崎領領家が合併し、木崎村(江戸期の木崎村とは別の自治体)が成立。本太村は木崎村の大字本太となる。
1932年(昭和7年)4月1日 - 木崎村が谷田村と共に浦和町へ編入され、浦和町の大字となる。
1934年(昭和9年)2月11日 - 浦和町が市制を施行し、浦和市となり、浦和市の大字となる。
1954年(昭和29年)1月1日 - 浦和市大字本太から本太町一丁目〜五丁目、元町一丁目〜三丁目、前地町一丁目〜三丁目が成立。(住居表示とは別の町名変更)/1968年(昭和40年) - 大字本太の一部が東仲町の一部となる。
1966年(昭和41年)4月1日 – 住居表示実施により本太町一丁目〜五丁目、仲町五丁目、大字駒場の各一部から本太一丁目〜五丁目が成立(本太町一丁目から本太一丁目、本太町二丁目・仲町五丁目の一部から二丁目、本太町三丁目・仲町五丁目の一部から三丁目、本太町四丁目から四丁目、本太町五丁目・大字駒場の一部から五丁目)。
2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市が与野市、大宮市と合併しさいたま市となり、さいたま市の町名となる。
2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、さいたま市浦和区の町名となる。世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。
交通
地域内に鉄道は敷設されていない。徒歩圏内に東北本線浦和駅(宇都宮線、高崎線、上野東京ライン、湘南新宿ライン、京浜東北線)がある。
道路
国道463号/藤右衛門川通り(地下を藤右衛門川が流れる)
寺社
氷川神社/天台宗延命寺 - 一丁目にある。ムクノキが有名。
元太観音堂 - 二丁目にある。元天台宗冨岡山瑞岸寺の観音堂で、延命寺が管理する。足立坂東三十三観音霊場のひとつ。市指定有形民俗文化財の「本太観音堂連経講絵馬」がある。
三角稲荷神社/山神神社施設
さいたま市立仲本小学校/さいたま市立本太小学校/浦和総合運動場(一部)/さいたま市営浦和球場/本太保育園/本太幼稚園/浦和母の会幼稚園/浦和本太郵便局/三角稲荷公園 - 新浦和橋高架下に所在/本太児童公園/
※なお、さいたま市立本太中学校は領家一丁目にある。参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。 /浦和市総務部市史編さん室『わがまち浦和―地域別案内』浦和市、1982年11月30日。全国書誌番号:83024476、NCID BN10203371。 /旧高旧領取調帳データベース/「元太村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ142足立郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763998/47。
関連項目
さいたま市の地名/浦和地区/埼玉県第1区
外部リンク
さいたま市地図情報 - さいたま市/浦和区ガイドマップ - さいたま市