「愛知県 瀬戸市 東十三塚町」について
郵便番号 | 〒489-0056 |
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住所 | 愛知県 瀬戸市 東十三塚町 |
読み方 | あいちけん せとし ひがしとみづかちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23204 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 瀬戸市 東十三塚町」の読み方は「あいちけん せとし ひがしとみづかちょう」です。
- 「愛知県 瀬戸市 東十三塚町」の郵便番号は「〒489-0056」です。
- 「愛知県 瀬戸市」の地方公共団体コードは「23204」です。
「東十三塚町」の概要 from Wikipedia
東十三塚町(ひがしとみづかちょう)は、愛知県瀬戸市道泉連区の町名。丁番を持たない単独町名。
地理
瀬戸市の中央部に位置する。西を西十三塚町、北を進陶町・下陣屋町・東安戸町、東を道泉町・滝之湯町、南を京町と隣接している。
住宅と陶磁器関係の中小工場が混在する。かつては大部分が水田地帯であった。河川
陣屋川(瀬戸川支流) : 町の西端、西十三塚町との境を南流している。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。また、公立高等学校普通科に通う場合の学区は以下の通りとなる。
町名の由来
町名設定の際、旧瀬戸村字十三塚の東方にあたることから名付けられたと推察される。
十三塚の地名の由来については、以下の4つの伝説がある。
1584年(天正12年)小牧・長久手の戦いにおいて敗れた落武者13名が命からがらこの村まで逃げ延びてきたが、力尽きてしまった。かわいそうに思った村人達はこの地に13の塚を建てて弔った。
1482年(文明14年)今村赤津村郷主松原下総守広長は桑下城主長江民部少輔と相争い、合戦になった。松原勢は利なく西方へ敗走した。その時多数の軍兵が死に、この地に塚を築いて埋めた。その塚の数が13であった。
1556年(弘治2年)8月、稲生の戦いにおいて織田信長とその弟信行が戦い、敗れた落武者13名がこの地で落命した。これをいたんだ村人が13の塚を建てて祀った。
昔、瀬戸村に美男と美女が瀬戸川を挟んで住んでおり、二人は人知れず慕っていたが、丙午(ひのえうま)の乙女ということで破談になり、乙女は瀬戸川に身を投げ自殺してしまった。その後、この乙女の霊がここにさまよい、同月同日同時刻にここを通る馬を呪い殺していた。13年経過してやっと地元の人々がこれに気付いて、13の塚を建てて霊を弔った。沿革
1942年(昭和17年)1月9日 - 瀬戸市大字瀬戸字十三塚の一部により、同市東十三塚町として成立。
世帯数と人口
2024年(令和6年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
鉄道
名鉄瀬戸線 : 町の南端、京町との境を東西に走っている。最寄り駅は瀬戸市役所前駅になる。
バス
町内にバスは走っていない。最寄りのバス停は、名鉄バス「しなの線(瀬戸北線)」【1】【1H】【2】【2H】系統、同「東山線」【16H】【17H】系統の瀬戸京町バス停になる。
道路
町内に国道・県道は通っていない。
日本郵便
郵便番号 : 489-0056(集配局:瀬戸郵便局)。
参考文献
瀬戸市 編『昭和17年1月9日施行 町名設定調書(其ノ一)瀬戸地区』瀬戸市、1942年。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。 /瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会 編『郷土史研25周年誌-瀬戸・尾張旭の寺社・街道・地名-』瀬戸・尾張旭郷土史研究同好会、2020年。
関連項目
瀬戸市の地名
外部リンク
瀬戸市ホームページ/ ウィキメディア・コモンズには、東十三塚町に関するカテゴリがあります。