「宮崎県 都城市 梅北町」について
郵便番号 | 〒885-0063 |
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住所 | 宮崎県 都城市 梅北町 |
読み方 | みやざきけん みやこのじょうし うめきたちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
45202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「宮崎県 都城市 梅北町」の読み方は「みやざきけん みやこのじょうし うめきたちょう」です。
- 「宮崎県 都城市 梅北町」の郵便番号は「〒885-0063」です。
- 「宮崎県 都城市」の地方公共団体コードは「45202」です。
「梅北町」の概要 from Wikipedia
梅北町(うめきたちょう)は、宮崎県都城市の町丁。郵便番号は885-0063。人口は3,331人、世帯数は1,518世帯。
概要
平地が多く、農業が発達した地域であり、その由来はかつて平季基が、日本最大の荘園である島津荘を設立したことによる。
地理
市の南部に位置し、東は安久町、西は今町、北は大岩田町・下長飯町、南は鹿児島県曽於市末吉町南之郷と接する。
また、行政地名ではないが、西端に雄児石と呼ばれる地名がある。河川
大淀川/梅北川/床丸川/払川
山
金御岳/天ヶ峰
地名の由来
一説によると、平重盛の病気平癒祈願のために開かれた西生寺が仁安3年(1168年)にこの地に移転され、梅が植えられたことが由来とされている。
梅北城
伝承によると、万寿3年(1026年)に、平季基によって築城されたとされ、季基の娘婿(又は孫婿)である伴兼貞(肝付氏の祖)が拠点とし、その子孫(肝付氏庶流)が梅北氏を称した。
鉄道
域内に鉄道駅はないが最寄駅は西都城駅(JR日豊本線・きりしま)か五十市駅(JR日豊本線)が挙げられる。
道路
国道269号/宮崎県道12号都城東環状線/宮崎県道109号飯野松山都城線/都城盆地朝霧道路/都城志布志道路/梅北インターチェンジ - 金御岳インターチェンジ
バス
宮崎交通30系統
学区
小学校は都城市立今町小学校もしくは都城市立梅北小学校に、中学校は都城市立中郷中学校に進学する。
施設
都城市立梅北小学校/都城市立中郷中学校/梅北郵便局/JA都城梅北支所
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
黒尾神社/梅北城跡/西生寺跡:田の神(タノカンサァ)と石仏群/池田貞記の碑:都城茶の基礎を築いた池田貞記の碑/安久節:発祥の安久町のほか、梅北町を含む都城市一帯においても親しまれている。
人口
都城市ホームページによると、2021年(令和3年)6月1日時点での域内の人口は以下の通り。
沿革
明治初年(1868年) ― 薩摩鹿児島藩領として、「旧高旧領取調帳」に『都城郷(外城)梅北村』として記載されている。
明治4年7月14日(1871年8月29日) ― 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
明治5年5月15日(1872年6月20日) ― 都城県の管轄となる/明治6年(1873年1月15日) ― 宮崎県(第1次)の管轄となる。
明治9年(1876年8月21日) ― 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
明治12年(1879年2月17日) ― 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての諸県郡が発足。郡役所が都城に設置。
明治16年(1883年5月9日) ― 宮崎県(第2次)が発足し、諸県郡のうち同県に所属する区域をもって北諸県郡が発足。戸長役場を倉園に設置。
明治22年(1889年5月1日) ― 町村制の施行により、豊満・梅北・安久の3ヶ村が合併し中郷村が発足。大字は旧村名を継承し、役場は安久に設置。
大正13年(1924年4月1日) ― 都城町が市制施行により都城市となり、郡から離脱。
昭和42年(1967年3月3日) ― 梅北村を含む中郷村が都城市に編入。以後、中郷地区梅北町となる。中郷地区梅北町
益貫/麓/中西/大薗/門貫/片平/城下/京之峯/北原/神応寺/斧研/川ノ上/中野/払川/高樋/女橋/雄児石/緩毛原/高見堂/川内/牟礼木/西生寺/嫁坂/諏訪山/眉白山/内山/大浦/仙人谷/川原谷
参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会 『角川日本地名大辞典 45 宮崎県』 角川書店、1979年。
出典
関連ページ
【参考】
町域名に「梅北町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。