「愛知県 名古屋市 東区 武平町」について
郵便番号 | 〒461-0008 |
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住所 | 愛知県 名古屋市 東区 武平町 |
読み方 | あいちけん なごやしひがしく ぶへいちょう |
この地域の 公式HP |
※「名古屋市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23102 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 名古屋市 東区 武平町」の読み方は「あいちけん なごやしひがしく ぶへいちょう」です。
- 「愛知県 名古屋市 東区 武平町」の郵便番号は「〒461-0008」です。
- 「愛知県 名古屋市東区」の地方公共団体コードは「23102」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「武平町」の概要 from Wikipedia
武平町(ぶへいちょう)は、愛知県名古屋市東区にある地名。武平町5丁目1番地の一区画が現存するのみ。
当地域の人口は0人(2019年2月1日現在、住民基本台帳調査による。名古屋市調べ)。地理
名古屋市東区南西端に位置する。
東から南は中区、西は久屋町、北は東桜一丁目に接する。かつては南北に細長い町域であり、東は東片端町1丁目・ 1丁目・下竪杉町1~2丁目・杉ノ町2丁目・駿河町1丁目・七曲町、西は南外堀町13丁目・中市場町3丁目・久屋町2丁目~8丁目・神楽町3丁目、南は新栄町1丁目、北は東外堀町2丁目に接していた。地名の由来
清洲越しの際、普請奉行松井武兵衛が当地に屋敷を持ったことから武兵衛町と称されたもの。のち、武平町と改まったという。
沿革
明治4年 - 武平町筋の片端筋から伝馬町筋に武平町1~3丁目として成立。
1878年(明治11年) - 名古屋区成立に伴い、同区武平町となる。また、一部が杉ノ町となる。
1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市武平町となる。
1900年(明治33年)3月 - 愛知県庁が愛知県師範学校の跡地に整備された新庁舎に南久屋町より移転。
1908年(明治41年)4月1日 - 東区成立に伴い、同区武平町となる。
1911年(明治44年) - 中区南武平町の一部を編入する。ただし、『なごやの町名』では全部を編入したとする。
1912年(大正元年)10月15日 - 東区武平町5-2において、愛知信託株式会社が設立される。
1927年(昭和2年)4月1日 - 財団法人坂文種報徳会により、東区武平町2丁目において武平町療養所が開設される。
1938年(昭和13年) - 愛知県庁は、南外堀町の新庁舎に移転する。
1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区武平町となる。
1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、東区武平町となる。
1976年(昭和51年) - 住居表示実施に伴い、一部が泉一丁目・東桜一丁目に編入される。また、一部が新栄町・久屋町に編入される。
1980年(昭和55年) - 一部が泉一丁目に編入される。施設
現在、町域は5丁目の一部のみであり、名古屋栄ビルディングが立地する。
史蹟
当地は江戸時代には武家町であり、星野勘左衛門や儒学者松平君山・国学者市岡猛彦の邸宅などがあった。
日本郵便
郵便番号 : 461-0008(集配局:名古屋東郵便局)。
参考文献
名古屋市会事務所 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務所、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382。 /名古屋市会事務局 編『総合名古屋市年表 昭和編 一』名古屋市会事務局、1964年11月25日。全国書誌番号:49011383。 /有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 978-4582490237。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。 /名古屋市教育委員会 編『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』(第二版)名古屋市教育委員会、1991年10月31日。全国書誌番号:92011448。 /『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年。
関連項目
名古屋市の地名/豊田佐吉 - 当町に工場を作った/豊田喜一郎 - 当町に居住した経験がある/渡辺勝 - 武平町生まれ/松井石根 - 当町名の由来となった松井武兵衛の末裔とされる/名古屋公衆図書館
外部リンク
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