「大阪府 貝塚市 海塚」について
| 郵便番号 | 〒597-0083 |
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| 住所 | 大阪府 貝塚市 海塚 |
| 読み方 | おおさかふ かいづかし うみづか |
| この地域の 公式HP |
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
27208 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「大阪府 貝塚市 海塚」の読み方は「おおさかふ かいづかし うみづか」です。
- 「大阪府 貝塚市 海塚」の郵便番号は「〒597-0083」です。
- 「大阪府 貝塚市」の地方公共団体コードは「27208」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「海塚」の概要 from Wikipedia
海塚(うみづか)は、大阪府貝塚市の地名。郵便番号は597-0083。
歴史
古来南郡に属し、もと麻生荘の内であり南海塚村と呼んだが、後単に海塚村と称する。1872年(明治5年)に海塚新町を分ち、1912年(大正元年)11月14日に4町4反5畝26歩を貝塚町に編入される。
徳川氏の初めより、小出播磨守の領地だったが、元和5年、松平周防守の領地に換わる。寛永17年、岡部美濃守の領地となり、同氏が世襲して美濃守長職に至り、1869年(明治2年)6月に上地する。岸和田藩の支配に移り、1871年(明治4年)7月14日、岸和田県に改まり、同年11月22日、堺県の管轄となる。同県区画の制定があるに及び、1872年(明治5年)2月、和泉国第十九区に属し、1874年(明治7年)1月22日、第三大区二小区に改まり、同年4月13日その三番組に入る。
1876年(明治9年)12月7日、番組が廃されて単に第三大区二小区となる。1880年(明治13年)4月14日、岸和田郡役所部内となり、同月23日、第三連合に属す。1881年(明治14年)2月7日、大阪府の管轄に転じ、翌3月1日、連合を離れて一村独立し、1884年(明治17年)7月1日、第十四戸長役場の管理区域に入り、1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に至る。産業
企業/貝塚郵便局(日本郵政グループ)/かつて存在した企業/奥本製粉/紀泉鉄道/北野織布合名会社(綿ネル生地製造)/日本浴巾(綿製浴巾製造販売並びに綿糸布売買業)/農業/北野農園 - 貝塚市の南海貝塚駅から徒歩3分の市街地で、約300年(享保18年より)にわたり都市近郊農業を営んできた農園。家族営農を中心に泉州特産の水なすや、水なすの原種である貝塚澤なす、貝塚早生玉ねぎ、泉州きくな、アスパラ、きゅうり、ぶどうなど約50種類以上の野菜を栽培・加工・販売している。
かつて存在した映画館/貝塚劇場/かつて存在した工場/北野タオル工場地主
『日本紳士録』によると、海塚の地主は北野がいる。
世帯数と人口
2025年(令和7年)4月末現在の世帯数と人口は以下の通り。
施設
貝塚警察署/龍雲寺(浄土宗) - 3丁目/ひと・ふれあいセンター - 2丁目/貝塚市立解放会館/日本年金機構 貝塚年金事務所/大阪社会福祉専門学校 - 1丁目
交通
鉄道/貝塚駅
出身人物
岡田伊平(泉州瓦斯社長) - 北野弥之助の弟。
川崎繁太郎(日本地質学会会長、技師、理学博士) - 海塚・北野長十郎の五男で、岸和田・川崎清平の長女栄子の入夫となる。
北野清治(農業、木綿仲買業、タオル製造業、北野タオル工場工場主、日本浴巾取締役、北野織布合名会社代表社員)/北野弥一郎(貝塚市長)/北野弥之助(地主、農業、村会議員)参考文献
工業之日本社 編『日本工業要鑑 大正13年度用 第14版』工業之日本社、1913 - 1926年。
人事興信所 編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
安中荘太郎 編『大阪府実業参考録』実業公益社、1924年。
『大阪府南三重県実業参考録』実業公益社、1926年。
聯合通信社 編『日本人事名鑑 昭和9年版 上卷』聯合通信社、1933年。
協調会産業福利部 編『全国工場鉱山名簿 昭和12年10月』協調会産業福利部、1937年。
交詢社編『日本紳士録 第43版』交詢社、1939年。
食糧経済新聞社 編『食糧経済年鑑 昭和37年度』食糧経済新聞社、1961年。
『日本会社録 第2版』交詢社出版局、1962年。
井上正雄『大阪府全志 5』清文堂出版、1976年。
歴代知事編纂会 編『日本の歴代市長 市制施行百年の歩み 第2巻』歴代知事編纂会、1984年。
『大阪府年鑑 昭和60年版』新大阪新聞社、1985年。関連項目
北野芳泉会