「神奈川県 横浜市 瀬谷区 瀬谷町」について
郵便番号 | 〒246-0003 |
---|---|
住所 | 神奈川県 横浜市 瀬谷区 瀬谷町 |
読み方 | かながわけん よこはましせやく せやちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
14114 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「神奈川県 横浜市 瀬谷区 瀬谷町」の読み方は「かながわけん よこはましせやく せやちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 瀬谷区 瀬谷町」の郵便番号は「〒246-0003」です。
- 「神奈川県 横浜市瀬谷区」の地方公共団体コードは「14114」です。
「瀬谷町」の概要 from Wikipedia
瀬谷町(せやちょう)は、神奈川県横浜市瀬谷区の地名。「丁目」の設定のない単独町名。住居表示未実施区域/。町の大部分が米軍基地である上瀬谷通信施設であった。
地理
元は瀬谷区の中・西部の広い範囲を占めていたが、1970〜80年代の町界町名地番整理事業により、多くの地域が分割された。その後は上瀬谷通信施設と周辺の開発規制区域を中心とする(県営細谷戸ハイツのみ住宅区域)瀬谷区北西部の範囲になっている。
沿革
横浜市に編入前のこの場所は、鎌倉郡瀬谷村大字瀬谷であった。
1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市に編入し、横浜市戸塚区瀬谷町となった。
1969年(昭和44年)10月1日 - 瀬谷区の新設により、横浜市瀬谷区瀬谷町となった。
1974年(昭和49年)8月12日 - 瀬谷町の一部を北町、目黒町、五貫目町へ編入。
1976年(昭和51年)9月15日 - 瀬谷町の一部を戸塚区和泉町、上飯田町へ編入。
1977年(昭和52年)3月28日 - 瀬谷町の一部を上瀬谷町、竹村町、中屋敷一丁目、中屋敷二丁目へ編入。
1978年(昭和53年)7月17日 - 瀬谷町の一部を本郷一丁目、本郷二丁目、本郷三丁目へ編入。
1978年(昭和53年)12月20日 - 瀬谷町の一部を東野へ編入。
1979年(昭和54年)8月20日 - 瀬谷町の一部を南瀬谷一丁目、南瀬谷二丁目へ編入。
1980年(昭和55年)3月31日 - 瀬谷町の一部を上瀬谷町、竹村町、中屋敷一丁目、本郷一丁目、本郷三丁目、目黒町、卸本町へ編入。
1981年(昭和56年)4月13日 - 瀬谷町の一部を南台一丁目、南台二丁目、宮沢町へ編入。
1981年(昭和56年)11月9日 - 瀬谷町の一部を下瀬谷一丁目、下瀬谷二丁目、下瀬谷三丁目へ編入。
1982年(昭和57年)10月25日 - 瀬谷町の一部を北新、橋戸一丁目、橋戸二丁目、橋戸三丁目へ編入。
1984年(昭和59年)8月6日 - 瀬谷町の一部を瀬谷四丁目、瀬谷五丁目、瀬谷六丁目へ編入。
1984年(昭和59年)11月5日 - 瀬谷町の一部を瀬谷一丁目、瀬谷二丁目、瀬谷三丁目へ編入。
1985年(昭和60年)11月5日 - 瀬谷町の一部を相沢一丁目、相沢二丁目、相沢三丁目、相沢四丁目、中央へ編入。
1986年(昭和61年)10月6日 - 瀬谷町の一部を相沢五丁目、相沢六丁目、相沢七丁目、中屋敷三丁目、本郷四丁目へ編入。
1987年(昭和62年)10月26日 - 瀬谷町の一部を東野台へ編入。
2015年(平成27年)6月30日 - 上瀬谷通信施設が、施設を含め土地全体で日本に返却された。世帯数と人口
2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
横浜市立上瀬谷小学校/瀬谷警察署 細谷戸駐在所/上瀬谷通信施設
日本郵便
郵便番号 : 246-0003(集配局:瀬谷郵便局)。
脚注
関連ページ
【参考】
町域名に「瀬谷町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。