「愛知県 あま市 甚目寺」について
郵便番号 | 〒490-1111 |
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住所 | 愛知県 あま市 甚目寺 |
読み方 | あいちけん あまし じもくじ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23237 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 あま市 甚目寺」の読み方は「あいちけん あまし じもくじ」です。
- 「愛知県 あま市 甚目寺」の郵便番号は「〒490-1111」です。
- 「愛知県 あま市」の地方公共団体コードは「23237」です。
- ■f02: 小字毎に番地が起番されている町域。
「甚目寺」の概要 from Wikipedia
甚目寺(じもくじ)は、愛知県あま市(旧・海部郡甚目寺町)にある真言宗智山派の寺院。山号は鳳凰山。鎮守として、式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ、元、八大明神社)があったが、神仏分離令の後、境内を分けた。所在していた甚目寺町の名は、当寺によっている。
概要
通称「甚目寺観音」で、正式名称より通称で呼ばれることが多い。本尊は聖観音。高さ一尺一寸五分の秘仏であり、本堂に安置される十一面観音像(50年に1回開帳の秘仏)の胎内仏。東海三十六不動尊霊場第五番札所。尾張三十三観音第十六番札所。尾張四観音の一つ。大須観音から見て丁(亥と子の間)の方角にあり、丁壬の方角が恵方にあたる年(丁・壬の年、最近は2007年(平成19年)、2012年(平成24年))の節分は、大変賑わう。
歴史
伝承によれば、推古天皇5年(597年)、伊勢国の海人豪族である甚目龍麿(甚目龍麻呂、はだめたつまろ)が漁をしていたところ、当時海であったこの地付近で観音像が網にかかり、その観音像を近くの砂浜に堂を建て安置したのが始まりという。この観音像は、敏達天皇14年(585年)に、物部守屋、中臣勝海の手によって海に投げられた3体の仏像のうち1体(聖観音)といわれている。残りの2体のうち、阿弥陀如来は善光寺、勢至菩薩は安楽寺(太宰府天満宮)にあるという。龍麻呂は、自らの氏をもって「はだめでら」と名づけた寺堂をたてたが、これは、「波陀米泥良」と書いた。「甚目寺」と書くようになったのは、中世からであるらしい。言い伝えでは、創建の経緯は以上の通りだが、実際、その歴史は奈良時代以前に遡ることができる、という仏教考古学者である石田茂作の研究もある。
天智天皇が病気になったとき、甚目寺で祈祷したところ、快癒したという。このことから、甚目寺は、勅願寺となった。鎌倉時代には1山500坊、約3000人の僧がいたと伝わる。戦国時代には、織田信長や徳川家康の保護を受けて繁栄した。その他、豊臣秀吉から160石、徳川義直から300石の寄進があった。沿革
597年(推古天皇5年) - 創建。
679年(天武天皇7年) - 寺堂が整えられ、鳳凰山の山号を受けた。
853年(仁寿3年)8月8日 - 工事で堂宇を建立するが、一時衰退した。
1103年(康和5年) - 藤原連長や僧智能、大江重房らの力によって再興された。
1124年(天治元年) - 地震で被害を受ける。
1126年(大治元年) - 大江為道とその女、長谷部氏が、復興につくした。
1196年(建久7年) - 源頼朝の命により、南大門の再建が行われる。
1201年(建仁元年) - 聖観上人が勧進、再興した。
1586年(天正13年) - 天正地震による被害を受ける。これを復興したとき、大和国長谷寺の伽藍をまねた、という。このとき、本堂を再建し、仁王門の大規模な修繕がなされた。
1627年(寛永4年) - 三重塔の再建が行われる。
1634年(寛永11年) - 東門の再建が行われる。
1644年 (正保年間) - 仁王門の修理が行われる。
1873年(明治6年)7月19日 - 本堂が全焼するなどの被害を出した火災が起こる。
1875年(明治8年) - 仮の本堂を建築した。
1891年(明治24年) - 濃尾地震による造営物の倒壊、破損があった。
1992年(平成4年) - 本堂が再建された。南大門(仁王門)
本堂(甚目寺観音)⑫/釈迦堂②
東門
鐘楼/六角堂③/十王堂④/不動堂➄/秋葉堂⑧/三重塔⑨/弘法堂⑩ - 西網之坊の弘法大師像(壱尺三寸弐分)を祀る。
明王堂⑪/漆部神社/日吉社/白山大権現/弁財天/ミニ四国八十八箇所①塔頭
性徳院/法花院⑦/光明院/釈迦院 - 愛知県指定有形文化財の掛幅「郭公の図」「蝦蟇の図」、襖絵「夕影山の図」4面(いずれも田中訥言筆、江戸末期、1958年(昭和33年)指定)を所蔵している。
大徳院⑥/元西網之坊 - 往時は東門の北に350坪の敷地があったが、今は西照寺 (愛西市)に継承されている。お守り
①から⑫の堂の参拝捺印をすると本堂でお守りがもらえる。
重要文化財
南大門 - 1196年(建久7年)再建。源頼朝の命により梶原景時が奉行となり建立。仁王門ともいい、安置されている仁王(金剛力士)像は1597年(慶長2年)福島正則の寄進による。明治33年指定。
三重塔 - 1627年(寛永4年)再建。高さ25m。吉田半十郎の寄進による。昭和28年指定。
東門 - 1634年(寛永11年)再建。昭和28年指定。
絹本著色不動尊像 - 縦158.2cm横85.4cm。平安時代。県内最古の仏教絵画。明治34年指定。
絹本著色仏涅槃図 - 縦258cm横237cm。鎌倉時代。明治34年指定。
木造愛染明王坐像 - 鎌倉時代作。2011年(平成23年)解体修理時に胎内から合子(ごうす)に納められた愛染明王像(木造彩色、鎌倉時代作)が発見された。 。平成24年指定。愛知県指定有形文化財
木造金剛力士(仁王)像 - 安土桃山時代作 。昭和33年指定。
梵鐘 - 南北朝時代作、建武四年三月廿日(1337年)の銘がある。昭和40年指定。
瑞花双鸞八稜鏡 - 平安時代。直径27.3cm厚さ0.5cm。昭和40年指定。あま市指定史跡
甚目寺境内地
焼失した文化財
木造観音菩薩立像 - 元重要文化財(国指定)。塔頭の法花院に安置されていたが、2001年(平成13年)の火災で焼失した。
主な行事
正月初祈祷会(1月1日〜3日)/節分会(2月3日)/桃十日祭(8月)/甚目寺観音てづくり朝市(毎月12日)
所在地
愛知県あま市甚目寺東門前24番地
周辺
あま市立甚目寺小学校/あま市甚目寺歴史民俗資料館/愛知県道124号西条清須線
交通アクセス
名鉄津島線 甚目寺駅下車、徒歩で約5分。
名古屋第二環状自動車道甚目寺北ICあるいは甚目寺南ICから東へ5分。その他
1283年(弘安6年)、一遍上人が鎌倉から上洛する途中にこの地を訪れていることから、念仏踊りが行なわれている。
福島正則が幼少のときに手習いに通った寺であり、仁王像の奉納などもしている。参考文献
甚目寺町史編纂委員会 編『甚目寺町史』愛知県海部郡甚目寺町、1975年。doi:10.11501/9569744。 /名古屋市博物館 編『甚目寺観音展 : 仁王像修復記念 : treasures of Jimokuji-temple』仁王像修復記念「甚目寺観音展」実行委員会、2011年。国立国会図書館書誌ID:000011290190。
外部リンク
鳳凰山 甚目寺 公式HP/愛知県公式HP:文化財ナビ愛知/ ウィキメディア・コモンズには、甚目寺に関するカテゴリがあります。