「神奈川県 川崎市 川崎区 田辺新田」について
郵便番号 | 〒210-0856 |
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住所 | 神奈川県 川崎市 川崎区 田辺新田 |
読み方 | かながわけん かわさきしかわさきく たなべしんでん |
この地域の 公式HP |
※「川崎市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14131 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 川崎市 川崎区 田辺新田」の読み方は「かながわけん かわさきしかわさきく たなべしんでん」です。
- 「神奈川県 川崎市 川崎区 田辺新田」の郵便番号は「〒210-0856」です。
- 「神奈川県 川崎市川崎区」の地方公共団体コードは「14131」です。
「田辺新田」の概要 from Wikipedia
田辺新田(たなべしんでん)は、神奈川県川崎市川崎区の町名。1964年(昭和39年)11月1日に住居表示が実施されている。2010年の国勢調査時点での面積は28.86 ha。川崎区内で唯一、「新田」の付いた行政地名。
地理
川崎区の西南端に位置し、大半が富士電機の工場となっている。北端を神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)・首都高速神奈川1号横羽線が通り、南端を鶴見線が走っている。
田辺新田は北端で産業道路を挟んで浅田と、東端で鋼管通や南渡田町と、南端で鶴見線を挟んで白石町と、西端で横浜市鶴見区寛政町と接する(特記のない町域は川崎市川崎区所属)。歴史
開拓の年代は正確にはわかっていないが、『新編武蔵風土記稿』に田辺新田は見えず、天保期の『磯付村概要図』には田辺新田の記載があることから、天保期の開発であろうと考えられている。天領であり、『旧高旧領取調帳』での石高は53石であったが、1853年(嘉永6年)の村数等取調書では「家なし」となっていた。
大正時代には富士電機が当地に工場を構え、さらに海側へと埋め立ても進んだ。地名の由来
小田村の田辺家により開拓が行われたことによる。
沿革
天保年間 - 『磯付村概要図』に田辺新田の名がある。
1845年(弘化2年)- 田辺佐五右衛門により稲荷社が設けられる。
1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県所属となる。
1874年(明治7年)- 大区小区制の施行により、当地は第4大区第4小区に属する。
1889年(明治22年)- 町村制の施行により、田島村が成立。田辺新田はその大字となる。
1923年(大正12年)- 田島村が町制を施行し、田島町となる。
1924年(大正13年)- 富士電機の工場が操業を開始。
1927年(昭和2年)- 田島町が川崎市に編入される。川崎市田辺新田となる。
1928年(昭和3年)- 海側が竹ノ下町として埋め立てられる。
1964年(昭和39年)- 住居表示の実施に伴い、一部を小田七丁目へ分離、田辺新田の残りと竹ノ下町・白石町の各一部をもって、町丁としての田辺新田が設置される。
1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行する。川崎市川崎区田辺新田となる。学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
鉄道
当地の南端を鶴見線が通り、武蔵白石駅が近隣に所在する。
路線バス
川崎鶴見臨港バス(浜川崎営業所管轄)が、当地と川崎駅を結ぶバスを運行している。
道路
当地の北端を、神奈川県道6号東京大師横浜線(産業道路)と首都高速神奈川1号横羽線(浜川崎出入口 - 浅田出入口間)が通過している。
施設
富士電機川崎工場(同社の登記上本店)/日通商事東京LSセンター
日本郵便
郵便番号 : 210-0856(集配局 : 川崎港郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考文献
『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。 /『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。 /『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。