「東京都 千代田区 神田多町」について
| 郵便番号 | 〒101-0046 |
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| 住所 | 東京都 千代田区 神田多町 |
| 読み方 | とうきょうと ちよだく かんだたちょう |
| この地域の 公式HP |
※「東京都千代田区」は、東京特別区です。
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
13101 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 千代田区 神田多町」の読み方は「とうきょうと ちよだく かんだたちょう」です。
- 「東京都 千代田区 神田多町」の郵便番号は「〒101-0046」です。
- 「東京都 千代田区」の地方公共団体コードは「13101」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「神田多町」の概要 from Wikipedia
神田多町(かんだたちょう)は、東京都千代田区の地名。現行行政地名としては、神田多町二丁目のみが存在する。住居表示未実施地域。
地理
千代田区の北部に位置し、町域東部は神田須田町と神田鍛冶町に、西部は神田司町に、南部は神田警察通りを境に内神田に、北部は神田須田町と接している。かつては一丁目も存在したが、1966年に住居表示が行われ、一丁目は内神田三丁目の一部となった。
町内中央を南北に多町大通りが、また東西に一八通りが通っている。商業地域で、オフィスビルや商店などが多く見られるほか、近年ではマンションも多くなってきている。歴史
1606年(慶長11年)に起立した古町。慶長年間に名主の河津五郎太夫が二丁目に菜市を開き、明暦の大火後規模を拡大し、御用市場となって発展した。近代に入っても神田青物市場として繁栄を続けたが、関東大震災で壊滅し、1928年(昭和3年)秋葉原に移転、3世紀余りの歴史を終えた。
1911年(明治44年)神田の冠称を外す。1933年(昭和8年)の区画整理により、竪大工町と新石町の一部を併せて新しく多町一丁目とし、元の多町町域を多町二丁目とした。1947年(昭和22年)神田区が千代田区に合併すると同時に冠称を復した。1966年(昭和41年)の住居表示により一丁目は内神田となったが、住民の反対運動により二丁目は未実施。地名の由来
もと田地だったことに由来する。当初田町と書かれ、市の繁栄に伴い字を改めたというが、改名の年代は不明。メッタ町の俗称もあった。
世帯数と人口
2025年(令和7年)3月1日現在(千代田区発表)の世帯数と人口は以下の通り。
世帯数 : 768世帯/人口 : 1,045人人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年8月現在)。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。
区域 : 二丁目 全域/小学校 : 千代田区立千代田小学校/中学校 : 千代田区立麹町中学校 または 千代田区立神田一橋中学校交通
町域内に鉄道駅はないが、北西部方面では地下鉄丸ノ内線・淡路町駅や、都営新宿線・小川町駅、千代田線・新御茶ノ水駅が、南東部方面では神田駅がそれぞれ至近であり、また徒歩圏内に秋葉原駅や御茶ノ水駅があるなど、交通の便は良い。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業所数 : 248事業所/従業員数 : 3,056人事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
早川書房/つるやゴルフ神田駅前店/京王プレッソイン神田/ガス石油機器会館/琉球銀行東京支店/松本家住宅主屋
出身・ゆかりのある人物・小説
阿部定(芸者、情痴殺人者、阿部定事件の犯人)/「神田滅多町の女」飯島耕一 1996「『虚栗』の時代」1998所収/*好色一代男西鶴 (刊三 木綿布子も仮の世「江戸滅多町にてしのびちぎりをこめし清林がつれし米かみ」)
日本郵便
郵便番号 : 101-0046(集配局 : 神田郵便局)。
外部リンク
千代田区/千代田区神田・多町一丁目町会