郵便番号 646-0056
住所 和歌山県 田辺市 芳養町
読み方 わかやまけん たなべし はやちょう
この地域の
公式HP
地図

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地方公共
団体コード
30206
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 芳養駅(JR在来線)
     …距離:834m(徒歩10分)
  • 南部駅(JR在来線)
     …距離:4.2km(徒歩52分)
  • 紀伊田辺駅(JR在来線)
     …距離:4.5km(徒歩56分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 芳養駅(JR)《駅(JR在来線)》
  • 城山崎《自然地名》
  • 芳養漁港《港》
  • 児童公園《公園、緑地》
  • ペンションシロギス《ペンション》
  • 和歌山県 田辺市 芳養町」の読み方は「わかやまけん たなべし はやちょう」です。
  • 和歌山県 田辺市 芳養町」の郵便番号は「646-0056」です。
  • 和歌山県 田辺市」の地方公共団体コードは「30206」です。

「芳養町」の概要 from Wikipedia

…(2,611文字)

芳養町(はやちょう)は、和歌山県田辺市の町丁。2020年4月末現在の人口は1,684人。郵便番号は646-0056。本項ではかつて同区域に存在した西牟婁郡下芳養村(しもはやむら)についても記す。

地理

田辺市の南東端、南が太平洋に面する芳養川の河口域、紀勢本線・芳養駅の北西一帯にあたる。北で上芳養、東で稲成町、南で元町・芳養松原、西で中芳養および日高郡みなべ町堺・埴田に接する。海岸沿いに紀勢本線と国道42号が通過し、北方に和歌山県道199号芳養清川線が分岐、北部を和歌山県道35号上富田南部線が横断する。また、中部を阪和自動車道が通過する。

河川

芳養川/田川/井原川

中世以前

天仁2年(1109年)10月22日 - 藤原宗忠が「早王子」に参詣する。『中右記』/大治2年(1127年)8月17日 - 紀伊国在庁官人等解案に「芳益村」と見える。
嘉応元年(1169年)9月29日 - 紀伊国司庁宣案に「出立庄〈号芳養〉」と見える。
建仁元年(1201年)10月12日 - 後鳥羽上皇が「ハヤ王子」に参詣する。『明月記』/天正13年(1585年)3月28日 - 紀州征伐により湯川教春の居城・泊城が落城し、羽柴方の杉若越後守が入城する。

近世

天明6年(1786年)12月30日 - 田辺城下で始まった打ちこわしが拡大し、ついに芳養でも井原甚兵衛宅が破壊され、さらに大庄屋目良源右衛門宅が標的となる。
天保8年(1837年)3月4日 - 2、300人が徒党を組んで押し寄せ、大庄屋目良幸作及び井原甚兵衛宅が打ちこわしに遭う。
幕末 - 牟婁郡境村・中村・芋村・下村が存在。「旧高旧領取調帳」の記載によると紀州藩附家老安藤氏領。
慶応4年1月24日(1868年2月17日) - 安藤氏領が立藩して田辺藩領となる。
 『紀伊続風土記(天保10〔1839〕年)』によると、芳養荘(芳養組)のうち下村・芋村・中村・境村の4か村を下芳養荘と称したと記されており、この範囲は後の下芳養村とほぼ同じ地域であったと考えられる。
 『田辺領郡村仮名付帳(享和3〔1803〕年)』には、これらの村に属する枝郷や小名が詳しく記されており、その内容は次のとおり。

江戸時代末期の村・枝郷・小名一覧

  時代を遡ると『田辺付浦組帳(正徳6〔1716〕年)』には、下村の人口が186人で、船25隻、廻船4隻、鉄砲1挺があり、芋村は29人、中村は31人、境村は48人で、鉄砲2挺があったことが記されている。
 また『熊野詣紀行(寛政10〔1798〕年)』には、いばらに「左岸上漁師人家多し」、松原に「松の下に戎社あり海に向ふて二社あり、是より人家多し」とあり、若一王子権現からは「人家立続きたり」と記されている。また、一里塚の下には茶店があったことも記されている。ここでいう「いばら」は大屋、「松原」は井原を指すものと考えられる。
 その後の『田辺領御尋之品書上帳(文化8〔1811〕年)』では、芳養組の産物として下村の鰹節が記載されており、下村に造酒家2軒が存在したことや芳養浦に海船38隻、大船3隻、小舟23隻があったことが記されている。
 さらに、『紀伊続風土記(天保10〔1839〕年)』には、下村について「当村漁戸商賈相交わり、造酒家もあり、又鰹節を製す」とあり、当時の村の様子がうかがえる。
 さらに時代が下ると、『田辺付浦組人数船弓鉄炮馬数書上帳(慶応4〔1868〕年)』には、芳養組に漁船30隻、いさば6隻、廻船1隻が存在したことが記されており、15歳以上60歳以下の男子が下村に225人、芋村に50人、中村に29人、境村に72人いたことが記されている。
 

近代

明治4年6月5日(1871年7月22日) - 下村は稲生村に、中村は田中村にそれぞれ改称される。
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により田辺県の管轄となる。
明治4年11月22日(1872年1月2日) - 和歌山県の管轄となる。
1879年(明治12年)1月20日 - 所属郡が西牟婁郡に変更。この年、境村・田中村・芋村・稲生村が合併して下芳養村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の下芳養村が単独で自治体を形成。
1934年(昭和9年)4月 - 経済更生指定村に指定される。
1937年(昭和12年)7月20日 - 教化指定村に指定される。
1942年(昭和17年)5月20日 - 下芳養村が田辺町と合併して田辺市が発足。同市芳養町となる。
2005年(平成17年)11月7日 - 地内より明洋二丁目が起立。
2007年(平成19年)11月5日 - 地内より芳養松原一・二丁目が起立(二丁目は一部)。

下芳養村歴代村長


※同一人物が連続して再任した場合、その期間は 1 代として記載しています。

下芳養村歴代助役


※同一人物が連続して再任した場合、その期間は 1 代として記載しています。

下芳養村歴代収入役


※同一人物が連続して再任した場合、その期間は 1 代として記載しています。

鉄道路線

区域内を紀勢本線が通過するが、駅は所在しない。隣接する芳養松原に芳養駅が所在。

バス

龍神自動車/西線/本社・あけぼの - 紀南病院 - 紀伊田辺 - 芳養駅 - 南部駅 - 福井 - 西 - 龍神温泉 - 季楽里/上芳養線/本社・あけぼの - 紀南病院 - 紀伊田辺 - 芳養駅 - 上小恒/受領線/本社・あけぼの - 紀南病院 - 紀伊田辺 - 芳養駅 - 南部駅 - 受領/明光バス/南部線/田辺駅 - 海蔵寺町 - 元町 - 明洋団地 - 芳養駅 - 南部駅/田辺駅 - 海蔵寺町 - 元町 - 目良 - かんぽの宿 - 中浜 - 芳養駅 - 南部駅

道路

阪和自動車道/国道42号/和歌山県道35号上富田南部線/和歌山県道199号芳養清川線

施設

田辺市立はやざと保育所/田辺市立大坊小学校/芳養センター/体育センター/大屋比古神社(白馬神社)/住吉神社、恵比寿神社/秋葉神社、不動堂/祇園神社/大神宮/愛宕神社/八王神社/井原観音堂/教證寺/大師堂

参考文献

角川日本地名大辞典 30 和歌山県/旧高旧領取調帳データベース

関連項目

和歌山県の廃止市町村一覧

外部リンク

田辺市

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