「三重県 松阪市 茶与町」について
郵便番号 | 〒515-0077 |
---|---|
住所 | 三重県 松阪市 茶与町 |
読み方 | みえけん まつさかし ちゃよまち |
この地域の 公式HP |
|
地図 | |
地方公共 団体コード |
24204 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
|
周辺の施設、 ランドマーク等 |
|
- 「三重県 松阪市 茶与町」の読み方は「みえけん まつさかし ちゃよまち」です。
- 「三重県 松阪市 茶与町」の郵便番号は「〒515-0077」です。
- 「三重県 松阪市」の地方公共団体コードは「24204」です。
「茶与町」の概要 from Wikipedia
茶与町(ちゃよまち)は、三重県松阪市の町名。2015年(平成27年)10月1日現在の面積は0.063519611km2。
地理
松阪市北東部、松阪市の中心市街地南部に位置する。東端を国道42号が縦断する。北は湊町(飛地)・長月町、東は南町・春日町一丁目、南から西にかけて大黒田町、北西は白粉町と接する。隣接する町のうち、長月町・南町・春日町は茶与町とともに元は松阪市大字垣鼻の一部であった。
沿革
元は松阪市大字垣鼻の一部であった。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、飯高郡神戸村大字垣鼻となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 飯高郡が飯野郡と合併し、飯南郡神戸村大字垣鼻となる。
1931年(昭和6年)4月5日 - 神戸村が松阪町に編入され同町が市制施行、松阪市大字垣鼻となる。
1953年(昭和28年)5月1日 - 大字垣鼻から分離し、松阪市茶与町となる。世帯数と人口
2019年(令和元年)9月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
1980年以降の人口の推移。なお、1990年以後は国勢調査による推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
経済
2015年(平成27年)の国勢調査による15歳以上の就業者数は141人で、産業別では多い順に卸売業・小売業(35人・24.8%)、製造業(19人・13.5%)、医療・福祉(14人・9.9%)、サービス業(12人・8.5%)、生活関連サービス業・娯楽業(9人・6.4%)となっている。2014年(平成26年)の経済センサスによると、茶与町の全事業所数は23事業所、従業者数は52人。具体的には卸売業・小売業と生活関連サービス業が各6、製造業が3、建設業、飲食店、宗教が各2、不動産賃貸業・管理業、教育・学習支援業が各1事業所となっている。全23事業所のうち21事業所が従業員4人以下の小規模事業所。
交通
1964年(昭和39年)まで三重電気鉄道松阪線茶与町駅があった。
路線バス/茶与町バス停(三重交通松阪営業所管内)/■02系統 パークタウン学園前/■02系統 松阪中央病院/■02・11・12・14・52・54・55系統 松阪駅前/■08系統 三重高校前/■11系統 道の駅飯高駅/■11・52系統 大石/■12系統 スメール/■14系統 柚原/■52系統 山室口/■52系統 相可高校前/■54系統 三瀬谷/■55系統 シャープ正門前/道路/ 国道42号施設
1980年代には三交タクシーの営業所や三交百貨店の倉庫があった。
店・企業/イナバヤ自転車店/エンゼル商会(ペットショップ)/小掠塗装店 三重営業所/小津木材 - 設立は1954年(昭和29年)。事業内容は「国産の檜の丸太から住宅部材を生産、販売」。
楠谷建具店/個別教室のトライ(個別指導塾)/内藤製餡所 - 1928年(昭和3年)創業。
中北表具店/博栄堂/森川塗建 松阪支店/モンドカフェ/安村たばこ店/米田食品包装/旅館・ホテル/たつみビジネスホテル/たつみ旅館/医療機関/奥山外科医院/宗教/天理教御与分教会/団体/田村のりひさ後援会事務所(政治団体)出身・ゆかりのある人物
田村元(自民党衆議院議員) - 労働大臣、運輸大臣、通産大臣、衆議院議長などを歴任した。住所が茶与町であった。
田村憲久(自民党衆議院議員) - 田村元の甥。TBSアナウンサー田村真子の父。日本郵便
郵便番号 : 515-0077(集配局:松阪郵便局)。
参考文献
人事興信所編『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年。
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、1983年6月8日、1643頁。 全国書誌番号:83035644/『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年。外部リンク
日本の地名がわかる事典『三重県松阪市茶与町』 - コトバンク/松電茶与町駅 - 松阪市歴史写真館