「神奈川県 横浜市 青葉区 荏田町」について
郵便番号 | 〒225-0013 |
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住所 | 神奈川県 横浜市 青葉区 荏田町 |
読み方 | かながわけん よこはましあおばく えだちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14117 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 横浜市 青葉区 荏田町」の読み方は「かながわけん よこはましあおばく えだちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 青葉区 荏田町」の郵便番号は「〒225-0013」です。
- 「神奈川県 横浜市青葉区」の地方公共団体コードは「14117」です。
「荏田町」の概要 from Wikipedia
荏田町(えだちょう)は、神奈川県横浜市青葉区の地名。「丁目」の設定のない単独町名。住居表示未実施区域。
地理
横浜市青葉区東部に位置する。東は都筑区中川・荏田南町、西は荏田西・荏田北、南は都筑区荏田南、北はあざみ野南・新石川・都筑区あゆみが丘と接している。町域内は西部が住宅街となっている一方、東部には局名に旧村名が付いた、横浜山内郵便局がある。また、町域東端に早渕川が流れ、西端を東急田園都市線が通り、江田駅が設置されている。町域の北を国道246号、東名高速道路が通る。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、荏田町471番4の地点で28万6000円/m²、荏田町427番3の地点で30万3000円/m²となっている。
歴史
町域内にある荏田交差点は古くは大山街道(現・国道246号)と鎌倉街道が交差している場所であり、荏田城も置かれた交通の要衝であった。また、江戸時代に入って荏田宿が置かれた。
1987年(昭和62年)には緑区荏田町の一部が港北区に編入され、荏田町は緑区と港北区に跨る地名となったが、港北区と緑区の再編時に、旧港北区部分は都筑区茅ケ崎中央となる。また、同時に荏田町の一部(国道246号新石川交差点の北東)が都筑区に組み込まれた為に、荏田町は青葉区と都筑区の両方に跨る地名となったが、1999年(平成11年)に都筑区側の荏田町があゆみが丘となったことにより、青葉区荏田町のみとなった。沿革
1868年(慶応4年)6月17日 - 神奈川府の設置により、神奈川府都筑郡荏田村となる。
1868年(明治元年)9月1日 - 神奈川府が神奈川県となり、神奈川県都筑郡荏田村となる。
1889年(明治22年) - 都筑郡石川村、黒須田村 と合併し、都筑郡山内村大字荏田となる。
1904年(明治37年) - 日露戦争へ出兵する途中に立ち寄った兵士の武器から火災が発生。荏田宿や周辺の観福寺の地蔵などを焼く。
1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市に編入し、新市域の一部より港北区となる。また、大字が町となり、横浜市港北区荏田町となる。
1969年(昭和44年)10月1日 - 港北区から緑区が分区。横浜市緑区荏田町となる。
1987年(昭和62年)6月5日 - 横浜市緑区荏田町の一部を港北区に編入。一部が再度横浜市港北区荏田町となる。
1994年(平成6年)11月6日 - 港北区と緑区を再編し、青葉区と都筑区を新設。大部分が横浜市青葉区荏田町となり、この時に横浜市港北区荏田町は横浜市都筑区茅ケ崎中央となるが、別の一部が横浜市都筑区荏田町となる。
1999年(平成11年)10月25日 - 横浜市都筑区荏田町の全域が横浜市都筑区あゆみが丘となり、荏田町は横浜市青葉区荏田町のみとなる。地名の由来
「エダ」は「湿田」を意味しており、それが「荏田」の由来と言われる。また荏胡麻の栽培が盛んだったこともあって、そこから「荏田」とつけられた説もある。
世帯数と人口
2024年(令和6年)5月31日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
愛和幼稚園/横浜山内郵便局/観音堂・養老山真福寺/劔神社/寶劔山観音院観福寺 – 都築橘樹酉年地蔵尊霊場第一番札所
日本郵便
郵便番号 : 225-0013(集配局:青葉郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
関連項目
青葉区/荏田