「神奈川県 藤沢市 辻堂太平台」について
郵便番号 | 〒251-0044 |
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住所 | 神奈川県 藤沢市 辻堂太平台 |
読み方 | かながわけん ふじさわし つじどうたいへいだい |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14205 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 藤沢市 辻堂太平台」の読み方は「かながわけん ふじさわし つじどうたいへいだい」です。
- 「神奈川県 藤沢市 辻堂太平台」の郵便番号は「〒251-0044」です。
- 「神奈川県 藤沢市」の地方公共団体コードは「14205」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「辻堂太平台」の概要 from Wikipedia
辻堂太平台(つじどうたいへいだい)は、神奈川県藤沢市にある地名。現行行政町名は辻堂太平台一丁目および辻堂太平台二丁目。住居表示実施済み区域。
地理
藤沢市の南部に位置する。東に引地川が流れる。
北は辻堂元町、東は本鵠沼および鵠沼海岸、南西は辻堂東海岸。南から順に一丁目および二丁目がある。地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、辻堂太平台1-7-2の地点で22万6000円/m2となっている。
歴史
平安時代は、大庭御厨の一部で伊勢神宮の荘園であった。昭和初期には、別荘地として開発された。
地名の由来
「太平台」は、大字辻堂時代の小字を継承したもの。昭和初期、この地域を別荘地として開発した平沼覚三郎と、当時の藤沢町長の大野守衛の苗字から、引地川にかかる橋を「大平橋」と名づけたことに由来する。
沿革
平安時代中期(10世紀) - 相模国高座郡土甘(とかみ・となみ)郷の一部となる。
1104年(長治元年)ころ - 鎌倉景正が大庭御厨を開拓し、その一部となる。
鎌倉時代 - 辻堂および茅ヶ崎を含む広域の地名で「八的ヶ原」(やまとがはら)、後に「八松ヶ原」(やつまつがはら)と呼ばれる。
1873年(明治6年)5月1日 - 神奈川県が区番組制を施行し、辻堂村は第17区となる。小字および地番が制定される。
1878年(明治11年)11月18日 - 郡区町村編制法により、行政区画としての高座郡辻堂村が編成され、当地はその一部となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行され、辻堂村、大庭村、羽鳥村および稲荷村が合併し、神奈川県高座郡明治村となる。
1908年(明治41年)4月1日 - 明治村、藤沢大坂町および鵠沼村が合併して、藤沢町となる。
1935年(昭和10年)10月 - 神奈川県による引地川下流部の改修完工。鵠沼堰、大平橋架橋。
1940年(昭和15年)10月1日 - 藤沢町が市政を敷き、藤沢市となる。
1961年(昭和36年)5月29日 - 当地域内に神奈川県道藤沢小和田線(後の神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線)が開通。
1967年(昭和42年)10月1日 - 辻堂太平台一丁目および二丁目を新設。
1984年(昭和59年)3月 - 引地川大平橋、コンクリート橋に掛け替え。世帯数と人口
2023年(令和5年)9月1日現在(藤沢市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2015年6月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
バス
神奈川中央交通/藤04系統:藤沢駅北口 - 鵠沼小学校前・浜見山 - 辻堂団地/藤06系統:藤沢駅北口 - 鵠沼小学校前・浜見山 - 辻堂駅南口/江ノ電バス/辻堂団地線:藤沢駅北口 - 鵠沼小学校前・浜見山 - 辻堂団地/長久保線:藤沢駅北口 - 鵠沼小学校前・浜見山 - 辻堂駅/太平台線:辻堂駅 - 浜見山・太平台・藤原 - 鵠沼車庫前/神奈川中央交通の藤04系統と江ノ電バスの辻堂団地線、および神奈川中央交通の藤06系統と江ノ電バスの長久保線は同一路線で両社の共同運行。
道路
神奈川県道30号戸塚茅ヶ崎線
施設
長久保公園/湘南太平台病院
日本郵便
郵便番号 : 251-0044(集配局 : 藤沢郵便局)。
脚注