「愛知県 豊田市 閑羅瀬町」について
郵便番号 | 〒444-2841 |
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住所 | 愛知県 豊田市 閑羅瀬町 |
読み方 | あいちけん とよたし しずらせちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23211 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 豊田市 閑羅瀬町」の読み方は「あいちけん とよたし しずらせちょう」です。
- 「愛知県 豊田市 閑羅瀬町」の郵便番号は「〒444-2841」です。
- 「愛知県 豊田市」の地方公共団体コードは「23211」です。
「閑羅瀬町」の概要 from Wikipedia
閑羅瀬町(しずらせちょう)は、愛知県豊田市の地名。
地理
豊田市の北東部にあり、矢作川左岸及び奥矢作湖に沿っている。
旭地区(旧東加茂郡旭町の町域にほぼ相当する)に属する。
北から東にかけて岐阜県恵那市串原、南東で牛地町・小滝野町、南の一点で余平町、南西で万町町、西で時瀬町と接する。
町域北部では、矢作川が矢作ダムを過ぎたところで大きく蛇行し、人家はこの蛇行により湾曲した部分の河岸付近に点在している。
なお、矢作川を挟んで北西位置にあたる岐阜県側(恵那市串原)にも、同名の「閑羅瀬」という集落がある。元は県境(国境)を跨いで同じ集落であったと考えられる。
産業は農林業が中心であるが、1971年(昭和46年)には矢作ダムの造成工事に伴い、住民の約半数が離農した。沿革
江戸期には閑羅瀬村として三河国加茂郡に所属していた。
なお、寛永期の『三河国村々高附』においては「しづらせ」、天保期の郷帳においては「閑羅瀬」と表記されている。
1635年(寛永12年)当時- 幕府の直轄地であった。
1698年(元禄11年)- 旗本京極高金の知行地となる。
1709年(宝永6年)- 京極家が後嗣を残すことなく断絶したため、再び幕府の直轄地となる。
1869年(明治2年)- 重原藩領となる。
1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が東加茂郡と西加茂郡に分割される。それに伴い、所属が加茂郡から東加茂郡に変更される。
1889年(明治22年)10月1日- 町村制施行により、閑羅瀬村、小滝野村、牛地村、田津原村が合併して東加茂郡生駒村が誕生し、閑羅瀬村は生駒村大字閑羅瀬に変更される。
1906年(明治39年)5月1日- 生駒村、介木村、野見村、築羽村が合併して旭村が誕生し、生駒村大字閑羅瀬は旭村大字閑羅瀬に変更される。
1967年(昭和42年)4月1日- 旭村が町制を施行し旭町になる。これに伴い、住所表示が旭町大字閑羅瀬に変更される。
2005年(平成17年)4月1日- 旭町の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市閑羅瀬町に変更される。世帯数と人口
2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
寺社
七神社/旧閑羅瀬村村社。由緒や創建年代などははっきりしていない。
散布地
松根(まつね)遺跡/大切(おおぎり)遺跡- 豊田市指定/いずれの遺跡も縄文時代のもの。
日本郵便
郵便番号 : 444-2841(集配局:旭郵便局)。
脚注
出典
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。 /『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。外部リンク
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