「愛知県 豊田市 雑敷町」について
郵便番号 | 〒470-0504 |
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住所 | 愛知県 豊田市 雑敷町 |
読み方 | あいちけん とよたし ざっしきちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23211 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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- 「愛知県 豊田市 雑敷町」の読み方は「あいちけん とよたし ざっしきちょう」です。
- 「愛知県 豊田市 雑敷町」の郵便番号は「〒470-0504」です。
- 「愛知県 豊田市」の地方公共団体コードは「23211」です。
「雑敷町」の概要 from Wikipedia
雑敷町(ざつしきちょう)は、愛知県豊田市の町名。
地理
豊田市の北部に位置し、小原地区(旧西加茂郡小原村の村域にほぼ相当する)に属する。北で大ケ蔵連町、東で柏ケ洞町、南東で川見町、南西で上仁木町、西で前洞町と接する。
町域のほぼ中央部を矢作川支流である田代川が縦貫し、国道419号が沿う。河岸段丘上に田畑があり、民家は山裾に点在している。
兼業農家が多数を占める。沿革
江戸期- 寛永期の『三河国村々高附』においては「加茂郡さつしき村」、天保期の郷帳においては「加茂郡雑鋪村」という表記が見受けられる。
1635年(寛永12年)当時- 岡崎藩領であった。
1762年(宝暦12年)- 幕府領となる。
1763年(宝暦13年)- 大多喜藩領となる。
1871年(明治4年)- 大区小区制施行により、第4大区第3小区に所属する。
1878年(明治11年)- 郡区町村編制法施行により、加茂郡が西加茂郡と東加茂郡に分割される。これに伴い、雑敷村の所属が加茂郡から西加茂郡に変更される。
1884年(明治17年)7月- 戸長役場設置に伴い、雑敷村、大ケ蔵連村(おおがぞれむら)、柏ケ洞村(かしがほらむら)、上仁木村(かみにぎむら)、北村(きたむら)、小村(こむれ)、川見村(せんみむら)、田代村(たしろむら)、東市野々村(ひがしいちののむら)、前洞村(まえぼらむら)の10村が同組に組み込まれる。
1889年(明治22年)10月1日- 市制・町村制施行に伴い、雑敷村、大ケ蔵連村、柏ケ洞村、上仁木村、北村、小村、川見村、田代村、東市野々村、前洞村の10村が合併して東加茂郡福原村が誕生し、雑敷村は福原村大字雑敷に継承される。
1906年(明治39年)7月1日- 福原村、清原村、豊原村、本城村が合併して小原村が誕生し、福原村大字雑敷は小原村大字雑敷に継承される。
2005年(平成17年)4月1日- 小原村の豊田市への編入に伴い、住所表示が豊田市雑敷町に変更される。人口
2019年(令和元年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
寺社
神明神社/1574年(天正21年)、豪族加藤六郎右衛門の勧進とされる。
八柱神社/別名「旭の宮」と呼ばれ、雑敷、大ケ蔵連、柏ケ洞、前洞の4村を鎮守。1617年(元和3年)の勧進と伝えられるが、1594年(文禄3年)の棟札も残されているため、創建年代はもっと古いものと考えられる。
阿弥陀堂散布地
才光院・行新遺跡/古墳時代から、中世、近世に至る遺跡とされる。
施設
小原北部生活改善センター
日本郵便
郵便番号 : 470-0504(集配局:小原郵便局)。
脚注
出典
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。 /『豊田加茂7市町村の合併の記録』、豊田市、2005年。
深津重貞 「豊田加茂の地名」、1991年。