郵便番号 362-0025
住所 埼玉県 上尾市 上尾下
読み方 さいたまけん あげおし あげおしも
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地方公共
団体コード
11219
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 原市駅(ニューシャトル)
     …距離:823m(徒歩10分)
  • 沼南駅(ニューシャトル)
     …距離:901m(徒歩11分)
  • 吉野原駅(ニューシャトル)
     …距離:1.7km(徒歩21分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 原市駅(埼玉新都市交通)《駅(新交通システム)》
  • 原市郵便局《郵便局》
  • 埼玉県立武道館《武道館》
  • 埼玉新聞社本社《新聞社》
  • いなげや上尾沼南駅前店《スーパーマーケット》
  • 埼玉アイスアリーナ《スケート場》
  • 埼玉県 上尾市 上尾下」の読み方は「さいたまけん あげおし あげおしも」です。
  • 埼玉県 上尾市 上尾下」の郵便番号は「362-0025」です。
  • 埼玉県 上尾市」の地方公共団体コードは「11219」です。

「上尾下」の概要 from Wikipedia

…(3,211文字)

上尾下(あげおしも)は、埼玉県上尾市の大字。市の統計などでは上尾地区で分類されている。郵便番号は362-0025。

地理

埼玉県の県央地域で、上尾市南部の主に大宮台地上に位置する芝川左岸沿いの南北に細長い形をしている地域。町域の東側を大字原市、南側を五番町やさいたま市北区吉野町、西側を日の出や東町、北側を二ツ宮と隣接する。町域の北部を上尾環状線が東西に通る。また、町域の西境を芝川が南北に流れ、上流から国体橋、新橋、日の出橋(日ノ出橋とも)、西長橋が架かる。
全体的には市街化区域で主に第一種住居地域(上尾環状線沿いは第二種住居地域)の住宅地が広がっているが、市街化調整区域となる芝川流域周辺を中心に農地も見られる。また、浸水常襲地区。芝川周辺は1950年代まで帯状に水田が広がっていた。工業地域に指定され、三井金属鉱業の工場などがある地区の北部はかつては山林であった。
地内に「長橋遺跡」(県遺跡番号:14-151)や「榎戸遺跡」(県遺跡番号:14-108)があり、土器片が発掘された。

地価

住宅地の地価は、2018年(平成30年)の公示地価によれば、大字上尾下字長橋835番7の地点で9万2900円/m2となっている。

歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡上尾領に属する上尾下村であった。延宝年間(1673年〜1681年)頃に江戸初期より存在した上尾町より旗本3氏の所領の関係で、上尾宿や上尾村(上尾上村)とともに分村して成立した。村高は『元禄郷帳』では204石余、『天保郷帳』では205石余であった。化政期の世帯数は55軒であった。地区の形はかつての上尾宿の東側と南側に沿うように逆Lの字(或いは「F」の字を左右反転させて右に90度回転させたような形)をしていて上尾宿や上尾村との境は複雑に錯綜している上、これらの飛地も多数存在していたが、芝川右岸側に突き出た区域は新たな町名に変更された。現在の愛宕三丁目の一部、および日の出の一・二丁目の一部や同三・四丁目の大半、および栄町の大半がこれに相当する。地名は上尾町の最も川下の場所という、地形によるものとみられている。
安土桃山期の旗本西尾氏の陣屋が村内に存在していた。陣屋が建立されていたとされる地には陣屋と称される小字もある。1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米106.2石、陸稲70石、大麦160石、小麦145石、大豆60石、小豆25石、栗10石、蕎麦15石、菜種5石、胡麻4石、大角豆5石、甘藷24000貫、里芋7200貫、大和芋1200貫であった。水利不便で旱害に強い甘藷栽培などの畑作中心であった。
はじめは知行は旗本松下彦兵衛氏。以降は松下氏で変遷なし。なお、幕府領の新田があり、検地は1747年(延享4年)に実施。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕末の時点では代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領、および旗本松下鎌太郎の知行であった。
1872年(明治5年)3月5日 - 大区小区制施行により第19区に属す。なお、埼玉県では小区は置かれていない。
1874年(明治7年)2月 - 埼玉県区村役員職制により結成された第19区の吉野原村他二か村ヶ村組合に属す。戸長は岸友右衛門(吉野原村)。
1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した上尾宿連合に属す。連合戸長役場は上尾宿に設置。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、上尾下村を含む区域をもって上尾町が成立、上尾町の大字上尾下となる。
時期不明(明治40年頃) - 地内の天神社や二稲荷社や弁天社が上尾村の氷川社に合祀される。
1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行し、上尾市の大字となる。
1959年(昭和34年)1月1日 - 放光院の「松下豊前守房利の供養塔」が市の記念物(史跡)に指定される。
1960年(昭和35年)9月1日 - 地内を通る県道が県道5号大宮川口線(現埼玉県道35号川口上尾線)に改称される。
1962年(昭和37年)5月1日 - 地内に国道17号大宮バイパスが整備され、開通する。
1963年(昭和38年)7月 - 地内(住所は上尾村656番地の1)に三井金属鉱業が操業を開始する。
1967年(昭和42年)7月1日 - 住居表示に関する法律に基づき住居表示(第三次)が実施され、上尾下の一部が栄町の一部、および日の出一丁目〜四丁目の一部となる。また、上尾下の一部が愛宕一丁目〜三丁目に編入される。
1974年(昭和49年)8月5日 - 放光院の「木造宝冠阿弥陀坐像」が市の有形文化財(彫刻)に指定される。
1985年(昭和60年) - 芝川に架かる原市新道の「新橋」が架け換えられる。
1986年(昭和61年) - 芝川に架かる「西長橋」が架け換えられる。
1988年(昭和63年) - 芝川に架かる「日の出橋」(日ノ出橋)が架け換えられる。
2008年(平成20年)11月5日 - 「陣屋の祭りばやし」が市の無形民俗文化財に指定される。

存在していた小字


※ 登記簿上は今もなお存在する小字を含む。

世帯数と人口

2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる。

交通

地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は埼玉新都市交通ニューシャトル沼南駅であるが、大字上尾下字長橋沼南の地点よりおよそ1.2 km離れている。

道路

埼玉県道323号上尾環状線/原市新道 - 水上公園北側の交差点からカーブを描きながら南東方向に向かい県道5号旧道に至る通り。原市では「上尾道」とも称された。

バス

上尾駅東口駅前から蓮田駅方面への路線バスが運行されている。
丸建自動車/地区内は「陣屋」バス停留所が設置されている。上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」原市平塚循環/原市瓦葺線地区内は「スポーツ総合センター」「陣屋公民館」「陣屋」「上平公園南口」バス停留所が設置されている。

町内会

陣屋町内会

祭事

陣屋の祭りばやし市指定無形民俗文化財であったが、陣屋囃子連の解散により2016年(平成28年)度に指定解除されている。

施設

地内に指定緊急避難場所は存在しない。神社は明治40年頃の合祀(前述)により、地内に存在しない。
三井金属鉱業銅箔事業部上尾事業所(一部)/東京電力パワーグリッド上尾変電所/陣屋公民館/あおぞら保育園/放光院 - 江戸初期草創。領主である松下氏の菩提寺。市指定文化財の「木造宝冠阿弥陀座像」や「松下豊前守房利の供養塔」がある。
陣屋公園/陣屋地区広場 - 陣屋(県遺跡番号:14-093)の跡地に所在する

参考文献

上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。 /上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市、2001年3月30日。 /上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。 /上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。 /『新編武蔵風土記稿』 巻ノ146足立郡ノ12.上尾下村。NDLJP:763999/35。

関連項目

埼玉県第6区

外部リンク

あげおガイド アピマップ - 上尾市役所/迅速測図(明治期) - 歴史的農業環境閲覧システム(農業環境技術研究所)

関連ページ