「静岡県 掛川市 今滝」について
| 郵便番号 | 〒437-1436 |
|---|---|
| 住所 | 静岡県 掛川市 今滝 |
| 読み方 | しずおかけん かけがわし いまたき |
| この地域の 公式HP |
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
22213 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
− |
- 「静岡県 掛川市 今滝」の読み方は「しずおかけん かけがわし いまたき」です。
- 「静岡県 掛川市 今滝」の郵便番号は「〒437-1436」です。
- 「静岡県 掛川市」の地方公共団体コードは「22213」です。
「今滝(掛川市)」の概要 from Wikipedia
今滝(いまたき)は、静岡県掛川市にある大字。
地理
静岡県掛川市の南部に位置する。合併前の旧大東町においては北西部に位置していた。東西に長い形状の大字。小笠山の山麓に位置しており、西から中央にかけてのほとんどを山林が占めている。中央から東にかけては平地が広がり、田畑や人家が見受けられる。
集落としては、隣接する大字とともに「今滝」を構成している。掛川市の自治区としては、集落としての今滝は上土方区に属している。山岳
小笠山
歴史
今滝と呼ばれている地は、もともとは自然村である遠江国城東郡今滝村の一部であった。今滝村は、江戸時代に入ると横須賀藩領となり、天和2年に幕府領となり、貞享年間に幕府と旗本である室賀氏との相給領となり、元禄年間には幕府と旗本の室賀氏と長谷川氏との相給領となり、のちに旗本の城氏と室賀氏と長谷川氏との相給領となった。内山真龍の『遠江国風土記伝』によれば今滝村の石高は212石9斗1升8合であったとされている。また、今瀧寺の寺田が5石とされている。農業が盛んであり、米をはじめとする五穀、蕎麦、牛蒡、蕗、萵苣、藍、木綿などが栽培されていた。明治元年には駿府藩領となり、明治2年には静岡藩領となった。この今滝村の一部がのちの今滝に該当する。
町村制が施行された1889年(明治22年)に、この地は静岡県城東郡土方村の一部となった。その際に従来の自然村は大字とされることになり、土方村の大字として今滝が設置された。その後の度重なる市町村合併を経て、1973年(昭和48年)4月よりこの地は大東町の一部となった。のちに静岡県庁企業局により工業団地の開発が始まり、1993年(平成5年)に上土方工業団地が完成した。それに伴い、今滝の一部が単独の大字としての「上土方工業団地」として分離独立した。その後、大東町が掛川市、大須賀町と合併することになり、2005年(平成17年)4月よりこの地は掛川市の一部となった。沿革
1871年 - 城東郡が静岡県に移管。
1871年 - 城東郡が浜松県に移管。
1876年 - 城東郡が静岡県に移管。
1889年 - 静岡県城東郡下土方村、入山瀬村、今滝村、上土方村、川久保村の大部分、中村の一部が合併して土方村を設置。土方村の大字として今滝を設置。
1896年 - 静岡県佐野郡、城東郡が合併して小笠郡を設置。
1955年 - 静岡県小笠郡佐束村、土方村が合併して城東村を設置。
1973年 - 静岡県小笠郡大浜町、城東村が合併して大東町を設置。
1993年 - 上土方工業団地竣工。
2005年 - 静岡県掛川市、小笠郡大東町、大須賀町が合併して掛川市を設置。世帯数と人口
2024年(令和6年)11月末日現在の世帯数と人口は以下の通り。
事業所
2021年(令和3年)現在の事業所数と従業員数は以下の通り。
小・中学校の学区
公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
施設
今滝公会堂/小谷神社/今瀧寺
郵便
郵便番号:437-1436(集配局:遠江大東郵便局)
警察
警察の管轄区域は以下の通り。
消防
消防の管轄区域は以下の通り。
関連項目
土方村
外部リンク
今滝公会堂 - 掛川市家庭の避難計画 - 今滝公会堂を紹介する掛川市危機管理課の公式ページ
関連ページ
【参考】
町域名に「今滝」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。