「愛知県 名古屋市 北区 光音寺町」について
郵便番号 | 〒462-0053 |
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住所 | 愛知県 名古屋市 北区 光音寺町 |
読み方 | あいちけん なごやしきたく こうおんじちょう |
この地域の 公式HP |
※「名古屋市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23103 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 名古屋市 北区 光音寺町」の読み方は「あいちけん なごやしきたく こうおんじちょう」です。
- 「愛知県 名古屋市 北区 光音寺町」の郵便番号は「〒462-0053」です。
- 「愛知県 名古屋市北区」の地方公共団体コードは「23103」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「光音寺町」の概要 from Wikipedia
光音寺町(こうおんじちょう)は、愛知県名古屋市北区の地名。現行行政地名は光音寺町1丁目から光音寺町4丁目と字野方(のがた)。住居表示未実施。
地理
名古屋市北区の西部に位置する。町の北部(字野方)が野方通に分断され飛地になっている。
河川
庄内用水(惣兵衛川)
歴史
往古は森綱村と称し、現在の光音寺付近より東方に集落があったとされるが、水害を避けるため、現在の位置に移転したという。また、集落が移転した後、光音寺が創建されたため、その寺院の名にちなみ、以降光音寺村と称すようになったという(『尾張徇行記』)。専ら農業により生計を立てていた村だったが、大正から昭和初期にかけて、工業化が進行したという(『北区誌』1964年)。
沿革
~鎌倉時代 - 盛綱(森綱とも)村と称されていたが、光音寺創建により光音寺村と改称。
1880年(明治13年) - 西春日井郡成立に伴い、同郡に所属。
1889年(明治22年)10月1日 - 萩野村に編入され、大字光音寺となる。
1937年(昭和12年)3月1日 - 西春日井郡萩野村大字光音寺を名古屋市西区に編入し、光音寺町に改称。
1937年(昭和12年)11月1日 - 字葭原の一部を大野町に、字五反田の一部を金田町に編入。
1942年(昭和17年)2月1日 - 字中須・方丈前・稲生町字井桁東・西新田の各一部より1丁目・2丁目を編成。
1944年(昭和19年)6月1日 - 字江下浦・野方・北浦・古墓の各一部が野方通1~4丁目へ、字江下浦の一部が桝形町1丁目へ編入。
1945年(昭和20年)1月1日 - 北区光音寺町の一部より1-4丁目を編成。また、一部が以下の通り金城町3-4丁目・中丸町1-3丁目・萩野通1-2丁目・鳩岡町1-2丁目・水草町1-2丁目・浪打町1-2丁目に編入される。
字彦治河戸・方丈前・郷中・中丸・江下浦・北浦・東出・水草・中須・稲生町字井桁東・西新田の各一部を光音寺町1-4丁目とする。
字高屋田・水草・東出・北浦の各一部が金城町3-4丁目へ編入される。
字彦治河戸・中須・中丸・高屋田・水草の各一部が中丸町1-3丁目へ編入される。
字中道間・浪打・油田・葭原・道下・五反田・古墓・鳩岡の各一部が萩野通1-2丁目へ編入される。
字葭原・道下・五反田・鳩岡の各一部が鳩岡町1-2丁目へ編入される。
字高屋田・水草・東出・浪打・中道間・油田・北浦・古墓の各一部が水草町1-2丁目へ編入される。
字中道間・浪打・油田・古墓の各一部が浪打町1-2丁目へ編入される。
1945年(昭和20年)4月20日 - 字江下浦・郷中の各一部を2丁目とする。字北浦が金城町4丁目へ編入。
1954年(昭和29年)5月1日 - 字高屋田の一部が金城町2丁目へ、字彦治河戸・高屋田の各一部が平手町1~2丁目へ、字油田・高屋田の各一部が八代町1~2丁目へ編入。
1956年(昭和31年)7月13日 - 西区稲生町字杁先の一部を字野方とする。
1978年(昭和53年)11月26日 - 住居表示の実施により、字古墓・鳩岡の残部全部および字野方の一部が川中町へ編入。字一覧
『愛知県地名収攬』によると光音寺村には以下の字が所在した。また、それらの字が町名変更を経て現在のどの町にあたるのか『北区 私たちのまち』の記述を元にして記した。したがって実際の変遷とは多少の誤差がある可能性がある。
彦治河戸(ひこしのこうと)/現在の光音寺町・中丸町・平手町の一部にあたる。
中須(なかす)/現在の光音寺町・中丸町の一部にあたる。
方丈前(ほうじょうまえ)/現在の光音寺町の一部にあたる。
江下浦(えげうら)/現在の光音寺町・野方通・桝形町の一部にあたる。
北浦(きたうら)/現在の光音寺町・金城町・水草町の一部にあたる。
郷中(こうなか)/現在の光音寺町の一部にあたる。
中丸(ちゅうまる)/現在の光音寺町・中丸町の一部にあたる。また、中丸町の由来ともなった。
水草(みくさ)/現在の光音寺町・金城町・中丸町・水草町の一部にあたる。また、水草町の由来となった。
高屋田(こうやた)/現在の金城町・中丸町・水草町・平手町・八代町の一部にあたる。
油田(あぶらだ)/現在の萩野通・浪打町・水草町・八代町の一部にあたる。
葭原(よしはら)/現在の大野町・萩野通・鳩岡町の一部にあたる。
浪内(なみうち)/現在の萩野通・水草町の一部にあたる。また、浪打町の由来ともなった。
東出(ひかして)/現在の光音寺町・金城町・水草町の一部にあたる。
古墓(ふるはか)/現在の野方通・萩野通・浪打町・水草町・川中町の一部にあたる。
五反田(こたんた)/現在の金田町・萩野通・鳩岡町の一部にあたる。
鳩岡(はとか)/現在の萩野通・鳩岡町・川中町の一部にあたる。また、鳩岡・鳩岡町の由来となった。
道下(みちした)/現在の萩野通・鳩岡町の一部にあたる。
中道間(なかみちま)/現在の萩野通・浪打町・水草町の一部にあたる。世帯数と人口
2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
鉄道
当町内には鉄道は存在しない。
かつて名古屋市電清水口延長線が延長され「光音寺町」電停が設置される計画が存在したというが、実現する前に路線自体が廃止された。バス
名古屋市営バス(名古屋市交通局)/又穂住宅東停留所/イのりば - 名駅13系統(上飯田行)・栄11系統(栄行)/愛工前停留所/アのりば - 名駅13系統(中切町行)・栄13系統(安井町西行)/福徳町停留所/アのりば - 名駅13系統(中切町行)・栄13系統(安井町西行)・黒川14系統(安井町西行)・北巡回系統(右回り黒川行)/ウのりば - 名駅13系統(名古屋駅行)・栄13系統(栄行)/川中停留所/アのりば - 名駅13系統(中切町行)・栄13系統(安井町西行)・黒川14系統(安井町西行)・北巡回系統(右回り黒川行)/ウのりば - 名駅13系統(名古屋駅行)・栄13系統(栄行)・黒川14系統(黒川行)・北巡回系統(福徳町経由左回り黒川行)/この他、町域外ではあるが光音寺町停留所が設置されている。
道路
国道41号(空港線)/名古屋高速1号楠線
字野方
愛知県立愛知工業高等学校跡地/愛知県警察名古屋交通反則通告センター/名古屋福徳郵便局/川中公園/東京法令出版東海営業所/かつては愛知県警察学校が所在した。
3丁目
曹洞宗横雪山光音寺/曹洞宗梅馨山松音寺/1621年(元和7年)9月13日財庵相富和尚が建て、開山は道円本成和尚によるものという。本尊は地蔵菩薩。脇仏として薬師如来が安置されるが、これは元々在家に伝わったものが後に納められたという。
真言宗大龍院/1395年(応永2年)11月、村瀬氏修験入我坊なる人物による不動明王安置が始まりと伝わる。もとは修験道場だったが、1873年(明治6年)より真言宗醍醐派所属。濃尾地震に被災するが、1893年(明治26年)10月再建。
萩野幼児園/光和幼稚園4丁目
名古屋市立光城小学校
その他
『西春日井郡誌』305頁によると、光音寺かりもりと称する長さ1尺にもなるカリモリが細々と生産されていたという。
日本郵便
郵便番号 : 462-0053(集配局:名古屋北郵便局)。
参考文献
平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年11月30日。ISBN 4-582-49023-9。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。 /名古屋市北区役所市民室『北区 私たちのまち』名古屋市北区役所、1979年。
関連項目
名古屋市の地名
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、光音寺町に関するカテゴリがあります。