「愛知県 名古屋市 東区 大幸」について
郵便番号 | 〒461-0043 |
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住所 | 愛知県 名古屋市 東区 大幸 |
読み方 | あいちけん なごやしひがしく だいこう |
この地域の 公式HP |
※「名古屋市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23102 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 名古屋市 東区 大幸」の読み方は「あいちけん なごやしひがしく だいこう」です。
- 「愛知県 名古屋市 東区 大幸」の郵便番号は「〒461-0043」です。
- 「愛知県 名古屋市東区」の地方公共団体コードは「23102」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「大幸」の概要 from Wikipedia
大幸(だいこう)は、愛知県名古屋市東区の地名。現行行政地名は大幸一丁目から大幸四丁目。住居表示実施。
地理
名古屋市東区北東部に位置する。東は砂田橋二丁目、南は矢田南四丁目・大幸南一丁目、北は守山区に接する。
河川
矢田川
歴史
西春日井郡大幸村を前身とする。
町名の由来
由来は複数説ある。当地が矢田川畔であることから「大河」が転じたとも、近くの「醍醐森」の森が省かれ転じたとも、南にあった上野村が狩りの好適地であり山の幸が豊かであった、すなわち「大幸」(おおさち)であったのを戦国時代に音読するようになったともいう。また、森を離れた場所を意味するという「タイコ」なるアイヌ語に由来するとする説もある。
沿革
1889年(明治22年)10月1日 - 合併に伴い、西春日井郡六郷村大字大幸となる。
1921年(大正10年)8月22日 - 合併に伴い、名古屋市東区大幸町となる。
1935年(昭和10年) - 現在の大幸南一丁目にあたる一帯に三菱重工業の工場が設置され、以降農村からの脱却が進むこととなる。
1943年(昭和18年)8月10日 - 矢田町との間で境界を変更する。
1944年(昭和19年) - 軍需産業の発達に伴い航空機製造の一大拠点となっていた一帯が、名古屋大空襲により壊滅する。
1984年(昭和59年)/1月15日 - 一部が大幸南一丁目に編入される。
10月22日 - 一部が砂田橋一丁目から同四丁目にそれぞれ編入される。
1987年(昭和62年)11月24日 - 大幸町を廃止し、大幸一丁目から同四丁目を編成。同時に住居表示を実施する。また、大幸一丁目から同三丁目には矢田町の一部を編入している。世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
鉄道
名鉄瀬戸線矢田駅/名古屋ガイドウェイバス(ガイドウェイバス志段味線(ゆとりーとライン)ナゴヤドーム前矢田駅/名古屋市営地下鉄名城線砂田橋駅
道路
瀬戸街道(愛知県道15号名古屋多治見線)
施設
大幸公園/大幸三丁目に所在する都市公園。1941年(昭和16年)開園。
名城幼児園/八幡社/源義家が飲み水を求め矢を田に刺すと、わき水を得、「大幸、大幸」と喜んだとする伝説が残る。
大幸保育園/臨済宗妙心寺派大幸寺日本郵便
郵便番号 : 461-0043(集配局:名古屋東郵便局)。
参考文献
野村三郎 著「「アイヌ」語より考察したる名古屋市附近の地名」、名古屋市中村区役所 編『中村区地名のおこり』名古屋市中村区役所、1967年3月、56頁。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。 /名古屋市農政緑地局管理部緑地管理課 編『名古屋市の公園 1996年』名古屋市農政緑地局管理部緑地管理課、1996年。
関連項目
名古屋市の地名
外部リンク
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関連ページ
【参考】
町域名に「大幸」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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23愛知県 | なごやしひがしく名古屋市東区 | だいこう大幸 |
23愛知県 | なごやしひがしく名古屋市東区 | だいこうみなみ大幸南 |
36徳島県 | なるとし鳴門市 | おおつちょうだいこう大津町大幸 |
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