郵便番号 900-0005
住所 沖縄県 那覇市 天久
読み方 おきなわけん なはし あめく
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地方公共
団体コード
47201
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 美栄橋駅(ゆいレール)
     …距離:2.3km(徒歩29分)
  • 古島駅(ゆいレール)
     …距離:2.5km(徒歩30分)
  • おもろまち駅(ゆいレール)
     …距離:2.5km(徒歩31分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • おもと会大浜第一病院《病院》
  • 琉球新報新聞博物館《博物館》
  • 業務用食品スーパー安謝店《スーパーマーケット》
  • ファミリーマート安謝恵比須神社前店《コンビニ》
  • ローソン那覇天久店《コンビニ》
  • コクワエナジー新都心給油所《ガソリンスタンド》
  • 沖縄県 那覇市 天久」の読み方は「おきなわけん なはし あめく」です。
  • 沖縄県 那覇市 天久」の郵便番号は「900-0005」です。
  • 沖縄県 那覇市」の地方公共団体コードは「47201」です。

「天久」の概要 from Wikipedia

天久(あめく)は、沖縄県那覇市北西部の地名。字天久と天久一・二丁目からなる。一・二丁目は、米軍の牧港住宅地区跡に整備された那覇新都心の一部。2026年5月末現在の人口は7,822人、世帯数は3,954世帯。郵便番号は900-0005。

地理

那覇市北西部の天久台地に位置し、安謝、おもろまち、上之屋、泊、曙と接する。面積は、2020年国勢調査の町丁・字等別境界データにおける字天久、天久一丁目、天久二丁目の合計で約0.792平方キロメートル。
天久台地は標高約50メートルの琉球石灰岩台地で、西側斜面には緑地、石造墓、湧水が残る。西側の字天久は国道58号沿道と台地斜面の住宅地を含み、市の都市計画では低中層住宅地と中高層住宅地が混在する地域に位置づけられている。東側の一・二丁目は土地区画整理により道路や公園が整備された住宅地で、天久安里線沿道には商業施設が立地する。

人口

2026年5月31日現在の町丁字別人口は次のとおり。

外来種

2024年8月、天久ちゅらまち公園の池で、特定外来生物のミステリークレイフィッシュ(マダラザリガニ)が沖縄県内の野外では初めて確認された。2025年の調査では幼体を含む85個体が捕獲され、同池で繁殖・定着していると判断された。環境省、沖縄県、那覇市は池への立入制限を行い、那覇市は2025年度に生息状況の調査と防除計画の策定を目的とする業務を発注した。2026年4月には、市が池の水を抜き、泥を乾燥させてセメントを混ぜ、コンクリートで覆う防除方針を決めたと報じられた。

先史時代・琉球王国期

字天久には県指定史跡の崎樋川貝塚(さちひじゃーかいづか)がある。琉球石灰岩丘陵の崖下にあるA地点は沖縄の貝塚時代前期、斜面下方のB地点は同後期に属する。A地点は1932年に発見・発掘され、厚さ約120センチメートルの貝層や伊波式・荻堂式土器が確認された。B地点は1965年に確認され、試掘調査が行われた。1956年10月19日に沖縄県の史跡に指定されている。周辺には天久グスク、天久遺跡、天久貝塚も埋蔵文化財包蔵地として登録されており、天久貝塚では急傾斜地崩壊対策工事に伴う緊急発掘調査が行われ、2016年に報告書が刊行された。
歴史地名としての天久村は「あみくむら」と読まれ、現在の天久一・二丁目と字天久だけでなく、上之屋一丁目・字上之屋、おもろまち二・三丁目、泊三丁目にも及んでいた。『おもろさうし』巻15には「あめくにや」とみえ、古くは浦添間切に属したとされる。1536年の田名家文書には「にしはらまきりのあめくのさとぬしところ」とあり、当時は西原間切に属していた。近世中期以後は王府直轄領の真和志間切に属した。1908年の沖縄県及島嶼町村制施行で真和志間切は真和志村となり、天久は同村の字となった。真和志市は1957年に那覇市へ合併し、天久も那覇市域となった。

沖縄戦と米軍接収

天久を含む現在の那覇新都心一帯は、1945年の沖縄戦で慶良間チージ(米軍呼称「シュガーローフ」)などをめぐる激戦地となった。戦後、天久、銘苅、上之屋の一帯約195ヘクタールは米軍に強制接収され、牧港住宅地区が建設された。沖縄県の資料によれば、返還面積は計195万1,000平方メートルで、将校・下士官・軍属用住宅のほか、プール、スケート場、ゴルフ場、PX、小学校などが置かれていた。
住民の証言によると、避難・収容所生活を経た天久の住民は1947年に荒廃した旧集落へ戻ったが、1950年に米軍住宅建設のため再び退去を通告され、旧集落の西側にあたる潮満原などへ移転した。牧港住宅地区は1965年以降段階的に返還され、1987年に全面返還された。

那覇新都心の整備

返還地を中心に、開発面積214ヘクタール(うち返還地192ヘクタール)の那覇新都心土地区画整理事業が進められた。1987年度に都市計画決定、1992年10月に工事着工、2000年にまち開きが行われ、2005年1月の換地処分公告をもって事業を終えた。
天久地区では1998年4月に沖縄県立那覇国際高等学校が開校した。1999年10月12日には土地区画整理区域内で住居表示が実施され、字天久の一部が天久一丁目・二丁目となった。2000年10月に天久りうぼう楽市が開業し、2012年4月には那覇市立天久小学校が開校した。一方、字天久には集団移転後に形成された住宅地と台地斜面の緑地が残り、土地区画整理された一・二丁目とは異なる市街地景観を示している。

文化・信仰

前近代の那覇港には珊瑚礁の切れ目を通る複数の航路があり、標高約50メートルの天久台地は海上から位置を確かめる目標物となった。歴史学者の黒嶋敏は、ペリー艦隊の海図・水路誌や現地調査をもとに、天久台地が宮古口から那覇港へ入る際の主要な目標物だったと論じている。戦前まで台地上には北側の天久グスクと南側の大御嶽という二つの高まりがあり、いずれも複数の拝所を伴う信仰対象であった。西・南斜面の石造墓群は海上から目立ち、坂中樋川と崎樋川の湧水はペリー海図の下書きに「good water」と記された。黒嶋は、御嶽、墓域、湧水を備えた台地全体を複合的な聖地として位置づけている。
旧天久村域の台地南縁には、琉球八社の一つである天久宮と、その別当寺で「天久の寺」とも呼ばれた聖現寺がある。両者は成化年間(1465年–1487年)の創建と伝えられる。現行住所では天久宮は泊三丁目、聖現寺は上之屋にあり、現在の天久一・二丁目および字天久の区域外。

民俗芸能

『那覇市史』に基づく沖縄県の調査報告によれば、旧天久村では旧暦8月15日の豊年祭(村遊び)に棒術が演じられた。棒術は獅子舞の前後に行われ、渦棒、組棒、跳棒、目衝棒などの演目があった。同報告は文献資料による事例について、現在も同じ形で行われているかは不明としている。

教育

市立小・中学校の通学区域は、天久一・二丁目が天久小学校、字天久が曙小学校で、中学校は全域が安岡中学校。
沖縄県立那覇国際高等学校(一丁目)/那覇市立天久小学校(一丁目)

交通

西部を国道58号が南北に通り、東部を市道天久安里線(那覇中環状線)が通る。天久安里線は那覇新都心の商業地を形成する幹線道路の一つ。字天久の生活道路として安謝天久線、天久安謝東線などがある。

商業施設

天久りうぼう楽市(一丁目)

医療機関

大浜第一病院(字天久)/天久台病院(字天久)

公園・緑地

天久ちゅらまち公園(二丁目)/天久プリン山公園(一丁目)/天久緑風公園(二丁目)

参考文献

「天久誌」編集委員会 編『天久誌』天久資産保存会、2010年。https://www2.archives.pref.okinawa.jp/opa/OPA600_RESULT_BUNSYO.aspx?cont_cd=A000009964&keyword_hit=&lang=jp&src_keyword=。

関連項目

那覇新都心/牧港住宅地区/天久宮/聖現寺

…(2,911文字)

関連ページ

【参考】
町域名に「天久」が含まれている住所一覧

検索ヒット数:3件
都道府県 市区町村 町域.
8茨城県 つくばしつくば市 あまくぼ天久
42長崎県 さいかいし西海市 さいかいちょうあまくぼごう西海町天久保郷
47沖縄県 なはし那覇市 あめく天久
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