「東京都 葛飾区 奥戸」について
郵便番号 | 〒124-0022 |
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住所 | 東京都 葛飾区 奥戸 |
読み方 | とうきょうと かつしかく おくど |
この地域の 公式HP |
※「東京都葛飾区」は、東京特別区です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
13122 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 葛飾区 奥戸」の読み方は「とうきょうと かつしかく おくど」です。
- 「東京都 葛飾区 奥戸」の郵便番号は「〒124-0022」です。
- 「東京都 葛飾区」の地方公共団体コードは「13122」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「奥戸」の概要 from Wikipedia
奥戸(おくど)は、東京都葛飾区南部の地名。現行行政地名は奥戸一丁目から九丁目。住居表示実施済み区域。
地理
葛飾区南部に位置する。北は高砂・細田、東は江戸川区西小岩・上一色、南は東新小岩、西は中川を挟んで立石・東立石と隣接する。町域内は住宅地として利用されるが、森永乳業をはじめとする工場や、近郊農地がわずかに残っている。現在その多くは宅地造成されているものの、中川や農業用水路に挟まれた古くからの低湿地帯。
東京都道318号環状七号線(環七通り)が町の中央を南北に走っており、奥戸街道が町を東西に横切っている。奥戸1 - 8丁目は新中川南西岸に所在するが、9丁目のみは北東岸に分断された形で位置する。後述するように、かつては奥戸全域が陸続きであったが、新中川が開削されたことにより、町域が分断された。地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、奥戸6-17-15の地点で27万1000円/m2となっている。
歴史
元南葛飾郡奥戸村の中心地であり、新中川の三和橋付近に町役場があった(跡地は水没)。1930年に町に昇格し、1932年に奥戸町は葛飾区に編入された。旧奥戸村の区域は、現在の奥戸のほか、高砂、細田、鎌倉や東新小岩、新小岩、西新小岩の各一部に相当する。太平洋戦争後、町域東側に新中川(中川放水路)が開削され、1963年3月に開通した。
地名の由来
町域西端には古くより中川が流れており、船による河川を利用した水運が発達していたことから、「奥津」となっていたものが転訛して「奥戸」になったと考えられている。
世帯数と人口
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
交通
町内に鉄道駅がない代わりに、葛飾区の要請により新小岩駅、亀有駅、京成立石駅、小岩駅などからの京成タウンバス路線が発達している。
道路・橋梁
道路/千葉県道・東京都道60号市川四ツ木線(奥戸街道)- 一部が1964年東京オリンピックの聖火リレーコースだった。
東京都道315号御徒町小岩線(蔵前橋通り)/東京都道318号環状七号線(環七通り) - 奥戸陸橋下交差点で奥戸街道と交差する。
橋梁/三和橋 /奥戸新橋/奥戸橋/本奥戸橋施設
公共施設/奥戸総合スポーツセンター/教育機関/葛飾区立南奥戸小学校/葛飾区立上小松小学校/葛飾区立奥戸小学校/商業・企業/森永乳業東京工場/京成バス奥戸営業所/京成タウンバス本社/東京天然温泉 古代の湯(ヘルスセンター)/エリナ/九重部屋
史跡・寺社
鬼塚(奥戸一丁目28番)/水神社(奥戸二丁目)/八剱神社(奥戸八丁目6番22号)/奥戸天祖神社(奥戸二丁目35番16号)/善紹寺(奥戸六丁目6番12号)南葛八十八ヶ所霊場1番札所がある。
宝蔵院 (奥戸八丁目5番19号) 真言宗豊山派の寺院。応永2年(1395年)創立、天文(1538年)の国府台合戦で焼失、慶長17年(1612年)に再興された。井上靖の碑や柳原白蓮の歌碑がある。
妙厳寺(奥戸三丁目28番10号)/妙法寺(奥戸八丁目1番17号)/森市地蔵(奥戸二丁目)日本郵便
郵便番号 : 124-0022(集配局 : 葛飾郵便局)。
脚注
関連ページ
【参考】
町域名に「奥戸」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。