「愛知県 一宮市 妙興寺」について
郵便番号 | 〒491-0921 |
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住所 | 愛知県 一宮市 妙興寺 |
読み方 | あいちけん いちのみやし みょうこうじ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23203 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 一宮市 妙興寺」の読み方は「あいちけん いちのみやし みょうこうじ」です。
- 「愛知県 一宮市 妙興寺」の郵便番号は「〒491-0921」です。
- 「愛知県 一宮市」の地方公共団体コードは「23203」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「妙興寺 (一宮市)」の概要 from Wikipedia
妙興寺(みょうこうじ)は、愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の大寺院。
概要
山号は、長嶋山(ちょうとうさん)、寺号は詳しくは妙興報恩禅寺と称し、宗派は臨済宗妙心寺派に属する。本尊は如意輪観世音菩薩・釈迦三尊、開山は滅宗宗興。周囲には、五つの塔頭がある。古より「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と言われる。
新陰流開祖上泉信綱が修行した。無刀取り発祥の地。修行道場として僧堂が設置されている。
現在では尾張地方の屈指の大禅寺となっている。歴史
創建以前には妙興寺廃寺(妙興寺跡)と呼ばれる古代寺院が建っており、境内各所から出土する奈良時代の瓦によって8世紀には寺院建築が存在したことが確認されている。その後寺院は、いつしか衰退し廃寺になった。数百年後の貞和4年(1348年) 尾張国中島城主中島蔵人の次男滅宗宗興(円光大照禅師)が亡き父母の報恩に感謝するために創建され、先師にあたる南浦紹明(なんぽじょうみん)を勧請開山とした。伽藍が完成したのは貞治4年(1365年)のこと。この間、文和2年(1353年)には 足利義詮の祈願所となり諸山に列し、延文元年(1356年) 後光厳天皇の勅願寺となっている。最盛期には、境内塔頭8、末寺13あったという。
ところが、応仁の乱を境に足利将軍家の庇護を失い、戦国時代の戦乱によって多くの寺領を失い衰微する。一方で、前野広久による医王山天福寺の寄進のように、焼失した小規模の寺から寺領を寄進されることもあった。
天正18年(1590年)寺の荒廃を憂いた豊臣秀次(あるいは豊臣秀吉)によって京都妙心寺から南化玄興が招聘され再興がはじまり、この時から妙心寺の末寺となった。秀次が200石を寄進した後、秀吉が300石を朱印地として宛てがい、後に松平忠吉に200石に減らされるも、これが尾張藩主によって代々安堵された。
明治23年(1890年)に火災で伽藍等の主要堂宇を焼失し、方丈は明治26年(1893年)、庫裏は明治30年(1897年)にそれぞれ再建された。重要文化財の勅使門は、創建当初来の遺構を今日に至るまで伝えている。当門には1353年、後光厳天皇より賜った勅額「国中無双禅刹」が掛かっている。
開山:大応国師 南浦紹明 延慶元年十二年廿九日遷化/創建:円光大照禅師 滅宗宗興 永徳元年七月十一日遷化/一世:正宗大暁禅師 峰翁祖一/二世:心王守性禅師 大興定菴/三世:大機円融禅師 聖翁享庵/四世:善一禅師/五世:伝心宗蜜禅師/六世:了山覚禅師伽藍
境内全域が愛知県指定史跡であり、一宮市博物館が設置されている/勅使門 - 室町時代、国の重要文化財/総門 - 犬山城主成瀬正太の寄進/鐘楼 - 江戸時代、愛知県指定有形文化財
重要文化財
勅使門/紙本著色足利義教像 瑞渓周鳳賛 - 賛の右下に足利義政花押がある。賛によれば永享4年(1432年)秋、義教が富士遊覧と称して駿河へ下向した際、妙興寺に半日滞在し、寺号額「妙興報恩禅寺」を与えたという。また長禄2年(1458年)義教の子・義政が妙興寺などの寺領を安堵した縁により、義教供養のため同寺住職の古伯眞稽が制作させたという。
絹本著色仏涅槃図/絹本墨画白衣観音(びゃくえかんのん)図 良全筆 乾峰士曇賛 - 鎌倉から南北朝時代(14世紀)/絹本著色道仏二教諸尊図 4幅 - 中国・南宋から元時代(13世紀後半)。寛永8年(1631年)柳生利厳が表装し直して寄進/絹本著色十六羅漢像 16幅 - 中国・元時代。同じ年利厳が表装し直して寄進/絹本墨画著色金泥文殊図 空谷明応賛/木造大応国師(南浦紹明)坐像 - 鎌倉時代(14世紀)南浦が示寂した延慶元年(1308年)からあまり経ってない頃の作/九条袈裟(南浦紹明所用、田相薄茶地四葉花文顕文紗、条葉紺地四葉花折枝文顕文紗)(附:環2枚、坐具2枚) - 南宋から元時代(13世紀後半)/九条袈裟(滅宗宗興所用、田相黄地桐竹鳳凰麒麟文綾、条葉薄茶地二重蔓牡丹唐草文綾)(附:坐具1枚) - 南北朝時代/妙興寺文書 549通/
※ 典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000年)による。愛知県指定有形文化財
梵鐘/南浦紹明塔銘牌 - 木製1基。享徳2年(1453年)妙興寺27代住持無隠徳吾が造立。
紙本著色豊臣秀吉像 - 南化玄興賛(慶長5年(1600年))、伝狩野山楽筆/紙本墨画神農図 - 江戸時代(17世紀)神前松徳筆、蘭叟紹秀賛/紙本墨画達磨図 - 江戸時代(17世紀)神前松徳筆、蘭叟紹秀賛/木製漆塗彫根来大香合 - 室町末から安土桃山時代(16世紀)南化玄興所用と伝えられる。一宮市指定有形文化財
不動明王像 - 平安時代(10-11世紀)/天部立像 2躯 - 平安時代(10-11世紀)/釈迦三尊像 - 南北朝時代(14世紀)院派仏師院遵(院吉の子、院広の弟)作/軒丸瓦 - 奈良時代(8世紀)尾張国分寺所用瓦/木造滅宗宗興坐像 - 南北朝時代(14世紀)滅宗の没する永徳2年(1382年)前後の作/絹本著色南化玄興像 - 安土桃山時代(16世紀)自賛/紙本墨画出山釈迦図三尊図 - 室町時代(15世紀)伝祥啓筆/絹本墨画淡彩不動明王像 - 嘉慶元年(1387年)龍湫周澤賛筆/紙本墨画淡彩寿老人図 - 室町時代(15世紀) 万里集九賛/紙本墨画著色竹雉子図 足利義継筆 - 室町時代(16世紀)足利義継は足利将軍家の一人か。
鷹図 - 室町時代(15世紀)万里集九賛/絹本墨画柳牛図 - 中国・元時代(13-14世紀)毛倫筆/紙本墨画著色五位鷺図 - 江戸時代(17世紀)伝相阿弥筆とされるが筆法は狩野派/絹本墨画墨梅図(白梅図) - 中国・明時代(14-17世紀)伝楊補之筆/紙本墨画墨梅図(紅梅図) - 室町時代(16世紀)雪崖筆/破墨山水図 - 室町時代(15世紀)伝雪洞筆/蓮鷺図双幅 - 室町時代(15世紀)雪洞筆/喚鐘 - 享徳2年(1453年)青銅製/手水鉢 - 江戸時代(18世紀)御庭焼。尾張藩主によって寄進/朱漆沈金膳 - 室町から安土桃山時代。寺伝では南化玄興が豊臣秀吉から拝領したという。
湖州鏡 付朱漆塗鏡筥 - 中国・宋時代(10-13世紀)/建造物 16棟 - 総門・三門・仏殿・客殿・庫裡・唐門・開山門・玄関・禅堂・開山堂・侍者寮・衆寮・書院・明暢亭・雪爪庵・宝蔵・弁天堂/
※ 他にも文化財が多数あり、尾張の正倉院とも呼ばれる。塔頭
耕雲院、種玉院、太陽院、清寥院、来薫院の5か院がある。このほか、かつては西住院、瑞芳院もあったが、現在は故地を離れている。また、来薫院の北側に桂昌院があった。
妙興寺そば
全国的に知られる妙興寺そばは、妙興寺僧侶が考案したとされる。
所在地
愛知県一宮市大和町妙興寺2438
交通手段
名鉄名古屋本線 妙興寺駅から徒歩で約7分。
周辺
一宮市博物館
参考文献
一宮市博物館編集・発行 『常設展示リニューアル記念 特別展 妙興寺展』 2014年10月17日
外部リンク
妙興寺紹介
関連ページ
【参考】
町域名に「妙興寺」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。