「東京都 文京区 小日向」について
郵便番号 | 〒112-0006 |
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住所 | 東京都 文京区 小日向 |
読み方 | とうきょうと ぶんきょうく こひなた |
この地域の 公式HP |
※「東京都文京区」は、東京特別区です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
13105 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 文京区 小日向」の読み方は「とうきょうと ぶんきょうく こひなた」です。
- 「東京都 文京区 小日向」の郵便番号は「〒112-0006」です。
- 「東京都 文京区」の地方公共団体コードは「13105」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「小日向」の概要 from Wikipedia
小日向(こひなた)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は小日向一丁目から小日向四丁目。郵便番号は112-0006。
地理
小日向台という台地があり、坂が多い。坂には「切支丹坂」・「薬罐(やかん)坂」など江戸期からの名称がついている。閑静な住宅街。石川啄木・安部公房・横溝正史などの旧居があった。
旧:茗荷谷町付近はその地形の美しさから、「茗渓」(めいけい)という美称でも呼ばれていた。現在でも「茗渓」という名の付いた建物や企業を目にすることができる。ただ、代表的なものである「茗渓会館」は、かつてこの地にあった東京教育大学(筑波大学の前身)の同窓組織である「茗渓会」の会館なのでこの名がある。東京教育大学の前身である東京高等師範学校は、設立当初は今の御茶の水、すなわち茗渓(茗はお茶、渓は川)にあったので、この名が付いた。東京高師が茗荷谷近くの地に移転したのは、ずっと後のことなので、ここでの茗渓という名は茗荷谷に由来するものではない。
地元では「こびなた」と「ひ」の濁音で発音されていることが多く、行政上の表記/発音「こひなた」については異論も多い。1965年前後の住居表示実施に伴う調査の際「濁音なし」を採用したが、他方、学校名や町会名など古くからの「濁音あり」で呼んだり表記したりしている。また、小日向のすべての丁目は小日向神社の氏神地域に該当する。地価
住宅地の地価は2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば小日向2-28-16の地点で65万1000円/m2となっている。
日頭郷
山岡浚明以来、平安時代の『和名類聚抄』所載の武蔵国豊島郡日頭(ひのと)郷を小日向と関連付ける説がある。
小日向氏
中世、江戸氏庶流に小日向氏が存在した。
応永27年(1420年)5月9日「江戸名字書立」(熊野那智大社米良文書)に「こひなたとの(小日向殿)」とある。『小田原衆所領役帳』には小日向の地名および小日向弥三郎、小日向弾正の名が記載される。江戸時代
江戸時代初期には農村で、代官野村彦太夫と町年寄三家樽屋藤左衛門、奈良屋市右衛門、喜多村彦右衛門支配、寛文12年(1672年)より代官支配となった。
明暦頃より市街化し、正徳3年(1713年)11ヶ町が町奉行支配に加わった。
小日向五軒町 - 元禄11年(1698年)西丸表六尺根本角兵衛等5人の大縄拝領地となった。
小日向三軒町 - 万治年間長兵衛等3人により成立。
小日向清水谷町 - 弓矢鎗奉行同心14人の拝領地となった。
小日向生智院前町/小日向水道町 - 明暦2年(1656年)成立。
小日向台町 - 小日向村鼠ヶ谷小松原に小日向新町として成立、元禄頃改称。
小日向東古川町 - 寛永元年成立。
小日向西古川町 - 寛文元年成立。
小日向八幡坂町/小日向松ヶ枝町 - 寛永3年成立。
小日向茗荷谷町/その後以下の門前町が成立した。
小日向第六天前町 - 承応以前に成立。
小日向清岸寺門前 - 寺名は清巌寺/小日向智願寺門前/小日向清光院門前/小日向竜興寺門前/小日向林泉寺門前/小日向金剛寺門前/小日向川添屋敷明治時代
明治元年、以下の町丁に整理された。明治維新前には武家屋敷が多くあったが、維新後没落して空き家が増え、東京府は明治2年に触れを出して桑や茶を植えることを推奨した。
小日向台町 - 明治2年小日向五軒町、小日向八幡坂町、明治5年賄組屋敷を合併。明治14年一~三丁目に分割。
小日向三軒町 - 明治2年小日向正智院前町を合併するも再分離、明治4年小日向西三軒町と改称、明治5年小石川薬園屋敷、武家地を合併。
小日向水道町 - 明治2年小日向川添屋敷、小日向智願寺門前、小日向清光院門前、小日向竜興寺門前、明治5年下総関宿藩久世家屋敷、寺地を合併。
小日向水道端一、二丁目 - 明治5年持筒組屋敷、武家地、寺地が合併して成立。
小日向武島町 - 明治5年武家地に成立。
小日向町 - 明治5年武家地に成立。
小日向東古川町/小日向西古川町/小日向第六天町 - 小日向第六天前町、小石川称名寺門前、相模荻野山中藩大久保家下屋敷、先手組屋敷が合併して成立。
小日向松ヶ枝町 - 明治5年武家地を合併。
小日向茗荷谷町 - 明治2年小日向林泉寺門前、明治5年武家地、寺地を合併。
明治11年に小石川区を属する。明治44年、小日向町、小日向台町、小日向水道町以外は小日向の冠称を外された。住居表示
昭和41年(1966年)の住居表示により、旧来の小日向地域は小日向、水道、春日、音羽、関口の各一部となった。小日向一~四丁目は、茗荷谷町、小日向台町一、二丁目、清水谷町、三軒町の全部と、小日向台町三丁目、水道端二丁目、第六天町、小日向水道町、桜木町、音羽町五丁目、同心町、竹早町の各一部に成立した。
この時、区は読みから濁点を外し「こひなた」としたため、後に住民と軋轢を生んだ。地名の由来
『江戸砂子』によれば、当地は鶴高日向守善仁寺の所領で、家が絶えたあと、「古日向」といっていたのがいつしかこの名になったという。鶴高日向は名主飯塚三四郎家の遠祖といい、小日向水道端鶴高山善仁寺の開基とされる。また、『十方庵遊歴雑記』は、大塚大慈寺(現在廃寺)が昔日向国にあり、徳川家康に従い当地に移転し、火災後大塚に移転したと伝わることから、この意味の「古日向」の可能性もあるとする。いずれにせよ「ひゅうが」と「ひなた」で読みが一致しないので、『御府内備考』以下後の考証家からは否定されている。
『大日本地名辞書』は、神奈川県日向山、青梅市日向和田・日陰和田と同様に向陽の意とした。世帯数と人口
2019年(令和元年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
鉄道
東京メトロ丸ノ内線 - 茗荷谷駅
施設
拓殖大学文京キャンパス/貞静学園短期大学/文京区立小日向台町小学校/伝明寺/林泉寺/妙足院/称名寺/小日向神社/生西寺
著名な住民
安部公房/石川啄木/石原八束/伊藤彦造/伊藤正己/岩崎清七/太田水穂/乙竹岩造/小野英二郎/小野俊一/小野塚喜平次/片桐貞央/岸本能武太/黒川通軌/小池正晁/小池正彪/小池正直/佐藤紅緑/佐藤恒丸/佐藤伝蔵 (地質学者)/サトウハチロー/澤宣元/志田鉀太郎/柴田桂太/志水小一郎/正田貞一郎/鈴木ヒロミツ/千本福隆/田河水泡/田川大吉郎/田口謙吉/田中阿歌麿/田中貢太郎/近松秋江/塚原周造/津軽承昭/富田常雄/十七世中村勘三郎/仁井田益太郎/新渡戸稲造/丹羽文雄/布川角左衛門/野口米次郎/延原謙/長谷川久一/長谷川芳之助/鳩山秀夫/浜口雄幸/平林初之輔/福田陸太郎/星島二郎/細川興治/堀口九萬一/堀口大學/堀秀彦/松石安治/松浦鎮次郎/松平容保/松野一夫/松本亦太郎/真山青果/水谷準/武者小路実篤/村井知至/森俊成/森岡常蔵/森下雨村/八杉龍一/山内義雄/横溝正史/吉田健一/和田三造/和田垣謙三/渡邉暁雄/渡辺温
参考資料
井沢宣子 2000 『東郷館の人びと―東京「小日向台」物語』 三一書房
外部リンク
文京区
関連ページ
【参考】
町域名に「小日向」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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10群馬県 | あんなかし安中市 | まついだまちおびなた松井田町小日向 |
10群馬県 | とねぐんみなかみまち利根郡みなかみ町 | おびなた小日向 |
13東京都 | ぶんきょうく文京区 | こひなた小日向 |
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。