「東京都 板橋区 志村」について
郵便番号 | 〒174-0056 |
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住所 | 東京都 板橋区 志村 |
読み方 | とうきょうと いたばしく しむら |
この地域の 公式HP |
※「東京都板橋区」は、東京特別区です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
13119 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「東京都 板橋区 志村」の読み方は「とうきょうと いたばしく しむら」です。
- 「東京都 板橋区 志村」の郵便番号は「〒174-0056」です。
- 「東京都 板橋区」の地方公共団体コードは「13119」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「志村(板橋区)」の概要 from Wikipedia
志村(しむら)は、東京都板橋区の町名。現行行政地名は志村一丁目から三丁目。全域で住居表示が実施されている。
地理
板橋区の北東部に位置する。北で坂下、東で小豆沢、南で大原町、南西で前野町、西で相生町と隣接する。町域の東北辺を国道17号(中山道)、北西辺を東京都道311号環状八号線(環八通り)、北部を都営地下鉄三田線が通じている。三田線(北行)は当町域で地下から地上に出て、西高島平方面は高架線となる。志村銀座商店街を中心とした商業地域、工場地帯、マンションなどの住宅街に分けられる。
地形
武蔵野台地成増台の高台と、荒川低地の沖積層の境目にあたる。区の中央部を小豆沢から赤塚にかけてほぼ東西に横断する崖線(がいせん)が二丁目・三丁目の町域を通り、およそ20mの急峻な高低差に多くの坂道が作られている。南部の一丁目では谷戸地形も見られ、前野町との境界、首都高速5号線の高架に向けて急な下り勾配が形成されている。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の地価調査によれば、志村2-6-13の地点で50万円/m2となっている。
歴史
廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡志村。「志」(し)が村名。近世においては、堀内村、掘之内村とも称された。
沿革
15世紀:志村城が築城されたと考えられる。廃城は16世紀後半~末ごろと考えられている。
1524年(大永4年):志村延命寺が創建されたと伝えられる。
1602年(慶長7年):徳川家康の命により、中山道が整備される。
1604年(慶長9年):中山道に、日本橋起点3里地点を示す志村一里塚が造られる。
1718年(享保3年):徳川吉宗将軍が、戸田筋(志村の原および徳丸ヶ原。現在の坂下・蓮根・高島平地域)での鷹狩を行い、延命寺を御膳所(休息所)としたと伝えられる。
1871年(明治4年):浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡志村となる。
1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村は本蓮沼村・上蓮沼村・根葉村・小豆沢村・前野村・中台村・西台村の7村を併合する。当地域は東京府北豊島郡志村大字志(し)となる。
1904年(明治37年):北豊島郡志村尋常小学校(現・板橋区立志村小学校)開校。1906年に高等尋常小学校を併設する。
1923年(大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、王子駅 - 志村戸田橋間の路線バス事業を開始。現在の町域に、飯田屋前、共栄商会前、志村坂上、セルロイド会社入口、志村坂下の停留所が設置される。
1930年代には、他に板橋乗合自動車(後に東都乗合自動車、戦後は国際興業バスに統合)が志村飯田屋前 - 赤羽駅 - 志茂間の路線を運行していた。
セルロイド会社は、志村小豆沢町の大日本セルロイド株式会社(現・株式会社ダイセル)のこと。1969年に撤退、跡地は小豆沢ガーデンを経てセブンタウン小豆沢となっている。
1932年(昭和7年)10月1日:板橋区発足により、東京府東京市板橋区志村町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
1933年(昭和8年)~ 1935年(昭和10年):中山道拡幅・新道(国道17号)建設工事が行われる。
1938年(昭和13年):志村町に凸版印刷株式会社板橋工場創設。
1944年(昭和19年):都電志村線開通、終点志村停留場(後の志村坂上)が設置される。
1947年(昭和22年):志村町が(旧)志村町一丁目~四丁目に分かれ、東京都板橋区(旧)志村町一丁目~四丁目となる。
1950年(昭和25年):(旧)志村町三丁目に国際興業バス志村営業所開設。二度の移転を経て現在地(坂下一丁目)に設置される。
1954年(昭和29年):コパル光機製作所(現・日本電産コパル)が豊島区長崎から(旧)志村町二丁目に移転。
1954年(昭和29年):(旧)志村町二丁目にスーパーマーケット三徳(現・三徳志村店)開業。
1960年代から1970年代にかけては、志村銀座商店街に西友ストアー、緑屋も営業していた。
1955年(昭和30年)6月10日:都電志村線が志村橋まで延伸。志村停留場を「志村坂上」に改称、(旧)志村町四丁目に志村坂下停留場開設。
1955年ごろ:志村坂下にあった、旧中山道志村の立場(たてば)跡解体。
1962年(昭和37年)3月1日:志村前野町の一部を(旧)志村町二丁目に編入。
1963年(昭和38年)11月1日:志村中台町の一部を(旧)志村町四丁目に編入。
1966年(昭和41年)1月1日:住居表示実施により、(旧)志村町一丁目~四丁目の中山道以西地域および(旧)小豆沢一丁目の一部地域を(新)志村一丁目~三丁目に再編する。(旧)志村町一丁目~三丁目の中山道以東地域は(新)小豆沢一丁目~四丁目に編入される。
1966年(昭和41年)5月28日:都電志村線廃止(最終運行日)。
1967年(昭和42年)10月2日:志村三丁目に板橋北郵便局開設。
1968年(昭和43年)12月27日:都営地下鉄6号線開通、志村坂上駅および志村三丁目駅開業。地名の由来
「志村」は古くには「しのむら」と称されたと伝えられる。篠が生い茂っていた土地に開村したことが由来で、鎌倉時代の歴史記録『吾妻鏡』に記されている。
世帯数と人口
2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
鉄道
東京都交通局/都営地下鉄三田線:志村坂上駅・志村三丁目駅 全列車が停車する。
南行:巣鴨・日比谷・目黒方面 東急目黒線・東急新横浜線・相鉄新横浜線経由で、相鉄本線海老名駅・相鉄いずみ野線湘南台駅まで直通運転。
北行:高島平・西高島平方面バス
国際興業バス
※出入庫に伴う区間運行系統は特記しているものを除き省略。
志村坂上:池20 池袋駅西口行き・志村三丁目駅経由高島平操車場行き、赤56 赤羽駅西口行き・中台三丁目経由高島平操車場行き、池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き/日曜・祝日の昼間時間帯は、志村銀座商店街で歩行者天国を実施するため、池20系統と赤56系統は当停留所には停車しない。バスは志村一里塚から見次公園裏の交差点を経由して、志村二丁目に向かう。池21系統の志村坂上停留所は中山道上、みずほ銀行志村支店の前にあるため、迂回措置は行われない。
志村二丁目: 池20 池袋駅西口行き・志村三丁目駅経由高島平操車場行き、赤56 赤羽駅西口行き・中台三丁目経由高島平操車場行き/志村三丁目駅(旧称・志村車庫):池20 志村坂上経由池袋駅西口行き・西台駅経由高島平操車場行き、常01 ときわ台駅行き、赤01 志村坂下経由赤羽駅西口行き・平和台駅経由練馬駅行き、赤02 志村坂下経由赤羽駅西口行き・成増駅北口行き/志村坂上経由赤羽駅西口行きの始発便(赤56-2系統)も運転されている。この系統の赤羽駅方面からの入庫便は平日朝の1便を除き、中台三丁目行き赤56-3系統として運転され、当停留所は経由しない。
志村坂下:赤01 赤羽駅西口行き・平和台駅経由練馬駅行き、赤02 赤羽駅西口行き・成増駅北口行き、池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き/志村一里塚:池20 池袋駅西口行き・西台駅経由高島平操車場行き、池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き/志村一丁目:赤53 ときわ台駅行き・西が丘経由赤羽駅西口行き/ときわ台駅行きの停留所は中山道交差点の東側(赤羽駅寄り)に設置されているが、中山道を渡った先の凸版印刷前にも停留所が追加された。いずれも停留所名は「志村一丁目」で、後者については車内で「志村一丁目・凸版印刷前」と案内している。赤羽駅行きの停留所は凸版印刷前のみで、中山道の東側には設置されていない。
赤羽駅西口始発の蓮沼町循環(赤52系統、平日朝時間帯のみ運転)は、2013年3月15日限りで廃止された。道路
首都高速5号池袋線:志村パーキングエリアが設置されている。
国道17号(中山道)/東京都道311号環状八号線(環八通り)/東京都道445号常盤台赤羽線(前野中央通り)/城山通り/御成塚通り施設
一丁目/延命寺/板橋区立志村第二小学校/凸版印刷株式会社/二丁目/志村熊野神社:志村城二の丸跡に創建。
みずほ銀行志村支店:旧第一銀行志村支店。第一勧業銀行など、数度の他行との合併による名称変更を経て現在の行名となる。
日本電産コパル:カメラシャッターなどを製造するメーカー。
三徳志村店:志村地域で初のスーパーマーケット。
板橋区立志村小学校:タレントであった志村けんをモデルにした竹村よしひこの漫画「わ~お!ケンちゃん」にも主人公・志村ケン太が通う小学校「板橋区志村小学校」として登場しているが、志村けんは現在の東京都東村山市の出身であり、当校は作中の小学校の直接のモデルとなっていない。
俳優渥美清の年譜では、1940年に現在の泉町にある志村第一尋常小学校を卒業、「板橋城山高等小学校」入学とされているが、この名前の学校は板橋区側の資料には存在していない。当時の学制では、6年制の尋常小学校に2年制の尋常高等小学校を併設することが多く、志村地域では当校が高等小学校を併設していたこと、および当校が「城山」と呼ばれる城址にあること、志村第一尋常小学校は志村尋常小学校の分校であったことから、当校の前身の志村尋常高等小学校に入学、1942年に卒業したものと考えられる。
志村城山公園/三丁目/グリーンカレッジホール (板橋区立シニア学習プラザ)/板橋北郵便局/板橋区立志村第四中学校/志村ショッピングセンター:サミットストア、コジマ×ビックカメラなどが営業。
志村ジャンボプール(閉店)史跡
志村一里塚(志村一丁目)/志村城跡(志村二丁目)
日本郵便
郵便番号 : 174-0056(集配局 : 板橋北郵便局)。
関連項目
志村 (曖昧さ回避)
外部リンク
板橋区
関連ページ
【参考】
町域名に「志村」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。