「秋田県 秋田市 手形休下町」について
郵便番号 | 〒010-0863 |
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住所 | 秋田県 秋田市 手形休下町 |
読み方 | あきたけん あきたし てがたきゅうかまち |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
05201 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「秋田県 秋田市 手形休下町」の読み方は「あきたけん あきたし てがたきゅうかまち」です。
- 「秋田県 秋田市 手形休下町」の郵便番号は「〒010-0863」です。
- 「秋田県 秋田市」の地方公共団体コードは「05201」です。
「手形休下町」の概要 from Wikipedia
手形休下町(てがたきゅうかまち)は秋田県秋田市にある町。郵便番号は010-0863。住居表示実施済み。
地理
秋田市の東部、手形地域の中では西部に位置する。西端はJR奥羽本線、南端は手形蛇野赤沼街道(秋田県道28号秋田岩見船岡線の旧道)。
西は奥羽本線を挟んで千秋北の丸・千秋中島町、北は手形からみでん・手形田中、東は手形住吉町、南は手形新栄町に接する。歴史
久保田城下で小禄家臣の侍町だった旧手形休下町・手形本新町の各一部に相当するが、この地区は1896年(明治29年)の秋田歩兵第十七聯隊設置に伴い陸軍練兵場となって1945年(昭和20年)まで区画が消滅していたため、町内の道路などは北東部にある馬出(添川口)の一部を除き旧城下町の痕跡を残していない。
1966年(昭和41年)の住居表示実施時、手形侍町の中では唯一旧町名が継承されたが、区画は変更されている。(旧)手形休下町
(旧)手形休下町は、久保田城の城下町の一角を構成する侍町で、北ノ丸に対し外堀を挟んだ東側に位置する。久保田手形休下町・秋田手形休下町とも呼ばれた。「梅津政景日記」寛永8年3月8日(1631年4月9日)の条に町割の記録がある。西側南端に佐竹氏の祈祷所である宝鏡院があり、周囲より高台であるため宝鏡院山と呼ばれた。東側南端に宝鏡院末寺遍照寺があり、続いて宝鏡院の御祈念衆(藩抱えの祈祷師)である威徳寺・泉光院・成福院・松門院・常堅院・梅真院の六供奉寺が並んでいた。そのため「手形斎家町」(てがたさいかまち)とも「手形六供町」「手形六句町」(てがたろっくまち)とも呼ばれた。
北端で旭川に面し、川岸に藩主の御休所があった。この御休所が休下町の名の由来。御休所の脇には「御休橋」が架けられており、泉山(現在の天徳寺山)の御鷹野へ繋がる橋であるため「御鷹野橋」とも呼ばれた。沿革
1631年8月7日(寛永8年7月10日) - (旧)手形休下町が町割される。
1664年(寛文4年) - 黒沢重巽によって私塾の四如堂が設立される。
1896年(明治29年) - 秋田歩兵第十七聯隊設置に伴い、手形休下町・手形本新町・手形西新町・手形東新町が陸軍練兵場として使用され、区画消滅。
1945年(昭和20年) - 練兵場廃止。町名復活し、宅地化(一部は一時農地化)が始まる。
????年 - 手形休下町と手形本新町に跨って、秋田市立手形中学校が開校する。
1953年(昭和28年)4月1日 - 手形中学校と長野町(現在の中通二丁目)の久保田中学校が統合され、手形中学校地に秋田市立秋田東中学校が開校する。
1966年(昭和41年)4月1日 - 住居表示実施に伴い、(新)手形休下町が成立する。町名の変遷
以下はすべて住居表示実施に伴う変更。
世帯数と人口
2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
鉄道
町内に鉄道は通っていない。最寄り駅は中通七丁目にあるJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
秋田中央交通/仁別リゾート公園線、秋田温泉線/- 手形休下町 - 東中前 -/楢山大回り線/- 東中前 - 明徳コミュニティセンター前 -
道路
手形蛇野赤沼街道
施設
秋田市立秋田東中学校/秋田保育所ひまわり保育園/グリーンローズてがた保育園/タカヤナギグランマート手形店
参考文献
角川日本地名大辞典 5 秋田県/「図説 久保田城下町の歴史」渡部景一、無明舎出版、1983年、ISBN 978-4-89544-499-6/秋田市 地名小辞典
外部リンク
秋田市