「愛知県 北名古屋市 沖村」について
郵便番号 | 〒481-0043 |
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住所 | 愛知県 北名古屋市 沖村 |
読み方 | あいちけん きたなごやし おきむら |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23234 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 北名古屋市 沖村」の読み方は「あいちけん きたなごやし おきむら」です。
- 「愛知県 北名古屋市 沖村」の郵便番号は「〒481-0043」です。
- 「愛知県 北名古屋市」の地方公共団体コードは「23234」です。
- ■f02: 小字毎に番地が起番されている町域。
「沖村 (北名古屋市)」の概要 from Wikipedia
沖村(おきむら)は、愛知県北名古屋市の地名。
地理
五条川の中流域の東岸に位置する。低湿地だったことが名称の由来とされる。特産品として「沖のいちじく」がある。
近世以前
沖村には林秀貞(林通勝)が居城する沖村城があり、林主計は織田信雄や織田信長に仕えていた。
江戸時代には尾張藩領の春日井郡沖村であり、清洲代官所の支配を受けていた。村高は「寛文郷帳」や「天保郷帳」によると1287石余であり、「旧高旧領」によると尾張藩領分が1277石余で犬山藩領分が317石余。1868年(明治元年)には尾張藩と犬山藩の相給となった。近代
1880年(明治13年)には春日井郡が分割されて西春日井郡と東春日井郡が発足し、沖村は西春日井郡に組み込まれた。
1889年(明治22年)には町村制によって西春日井郡下拾箇村が発足し、下拾箇村の大字として沖村が設置された。下拾箇村の村役場は沖村に置かれている。
1906年(明治39年)には下拾箇村、九之坪村、上拾箇村が合併して西春村が発足し、西春村の大字として沖村が設置された。1935年(昭和10年)の世帯数は141、人口は775だった。現代
1963年(昭和38年)には西春村が町制を施行して西春町が発足し、西春町の大字として沖村が設置された。
1967年(昭和42年)から1973年(昭和48年)には土地改良事業が行われた。施設
北名古屋市立白木中学校/北名古屋市立白木小学校/沖村公会堂/バロー西春店/V・drug西春店/日進医療器 - 車いすなどを製造する福祉機器メーカー。
チタカ・インターナショナル・フーズ - 「とんかつ知多家」などを展開する企業。名所・旧跡
日吉社 - 神社。旧称は山王社。
児社 - 神社。旧称は権現社。
松林寺 - 真宗大谷派の寺院。亀甲竹林、伊吹木(イブキ)、銀杏(イチョウ)が北名古屋市天然記念物。
徳岩寺 - 臨済宗の寺院。
入明寺 - 真宗大谷派の寺院。
光運寺 - 浄土宗の寺院。旧称は阿弥陀堂。
報還寺 - 浄土宗の寺院。慶長年間には本尊の薬師如来が疫病から村人を救ったとされる。
林通勝邸址 - 戦国武将である林秀貞の居宅跡。北名古屋市指定史跡。出身者
高田知文 - 楼主。文久3年(1863年)に松林寺に生まれ、1885年(明治18年)に名古屋市花園町の高田家に養子に入ると、大須・旭廓にある貸座敷兼芸妓置屋「金波楼」の楼主として成功を収めた。故郷の沖村には沖村公会堂や沖村公園などの建物を建設し、九之坪と沖村を結ぶ高田街道を建設している。また、日露戦争や日独戦争の戦没者の忠魂碑を建設するなど、様々な社会事業に私財を投じた。1944年(昭和19年)の死去後には財団法人高田知文報恩会が設立され、長く活動を続けた。松林寺の門前に銅像と顕彰碑がある。
半谷音吉 - 実業家。広正製陶創業者。徳岩寺境内に銅像がある。参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。 /西春町史編集委員会『西春町史 通史編1』西春町、1983年。
関連ページ
【参考】
町域名に「沖村」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。