郵便番号 210-0837
住所 神奈川県 川崎市 川崎区 渡田
読み方 かながわけん かわさきしかわさきく わたりだ
この地域の
公式HP
※「川崎市」は、政令指定都市です。
地図

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地方公共
団体コード
14131
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 小田栄駅(JR在来線)
     …距離:916m(徒歩11分)
  • 川崎新町駅(JR在来線)
     …距離:1.2km(徒歩15分)
  • 川崎駅(JR在来線)
     …距離:1.4km(徒歩17分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 川崎大島郵便局《郵便局》
  • 川崎市立田島小学校《小学校》
  • さわやか信用金庫川崎支店《信用金庫》
  • 川崎信用金庫渡田支店《信用金庫》
  • クリエイトエス・ディー川崎渡田店《ドラッグストア》
  • スギ薬局さつき橋店《ドラッグストア》
  • セブンイレブン川崎さつき橋店《コンビニ》
  • セブンイレブン川崎渡田1丁目店《コンビニ》
  • ローソンストア100川崎さつき橋店《コンビニ》
  • ローソン渡田向町店《コンビニ》
  • 神奈川県 川崎市 川崎区 渡田」の読み方は「かながわけん かわさきしかわさきく わたりだ」です。
  • 神奈川県 川崎市 川崎区 渡田」の郵便番号は「210-0837」です。
  • 神奈川県 川崎市川崎区」の地方公共団体コードは「14131」です。
補足事項
■f03: 丁目を有する町域。
郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。

「渡田」の概要 from Wikipedia

…(2,744文字)

渡田(わたりだ)は、神奈川県川崎市川崎区の町名。現行行政地名は渡田一丁目から渡田四丁目、1970年(昭和45年)7月1日に住居表示が施行されている。面積は31.00 ha。
なお、渡田の周囲に「渡田」を冠した町名(渡田山王町・渡田新町・渡田東町・渡田向町・南渡田町)が存在するが、これらは渡田から分立したものである(後述)。

地理

川崎区の西部に位置し、北端を神奈川県道101号扇町川崎停車場線(新川通)が通過している。土地としては多摩川のデルタ地帯であり、全体に低地であるが一部に自然堤防の微高地が存在する。一帯は住宅が大半を占めているが、商店街や中小の工場なども立地する。
渡田は北端で新川通を挟んで境町と、東端で大島上町・渡田東町と、南端で小田栄と、西端で渡田新町・渡田向町・貝塚と接する。これらの町域はすべて川崎区に属しており、渡田は区境・市境に接していない。

中世

川崎の地は中世から「河崎荘」として知られており、渡田も文献には残っていないものの、13世紀後半の銘が入った板碑や、「御正作」といった地名から、中世には武士の館があったとみられている。また、新田義貞が当地の不動尊に武運を祈願したと伝わるほか、義貞が戦死した後に、家臣であった亘新左衛門早勝がその形見を当地に持ち帰って供養を行い、のちには新田神社となったとされる。
当地にある成就院の創建は文明年間であるとされるが、境内から徳治2年(1307年)とある板碑が出土していることから、鎌倉時代に創建された可能性も考えられている。

江戸時代

江戸時代の当地は天領であり、石高は、正保期の「武蔵田園簿」で766石あまり、「元禄郷帳」では797石あまり・「天保郷帳」・幕末の「旧高旧領取調帳」では845石あまりとなっていた。賦役として、年貢以外にも、鷹狩用のオケラや、江戸城内で放すホタルの上納、さらには川崎宿への助郷も課されていた。
用水としては二ヶ領用水を用いたが、下流にあって水が回らないことがあり、1821年(文政4年)には用水の下流に位置した川崎領の20村が団結して溝口村の名主宅を襲撃するという溝口水騒動が勃発している。
なお、成就院の縁日には江戸各地から参拝客が集まり、『江戸名所図会』にも載るほどであった。

明治以降

明治維新以降、当地は神奈川県に属し、行政上は渡田村→田島村→田島町→川崎市と推移していった。川崎が都市化・工業化していく中で、当地も、沿岸部(のちの南渡田町)が埋め立てられ日本鋼管の工場(のちのJFEスチール東日本製鉄所京浜地区)が設置される、耕地整理により町が設置される、などの変化を経ていった。
川崎市が政令指定都市に移行するのと前後して住居表示が行われ、新たな町名やその区域が設定された。

地名の由来

いくつかの説があるが、確定はしていない。
亘新左衛門の領地であったことから「亘田村」と呼ばれ、それが転じた。
昔の多摩川が当地を流れ、それを渡る場所だった。

沿革

1263年(弘長3年)- この年の銘がある板碑が成就院裏の墓地に残る。
1333年(元弘3年)- 新田義貞、当地の不動尊に祈願すると伝わる。
文明年間 - 成就院の創建と伝わる。
1821年(文政4年)- 溝口水騒動。
1837年(天保8年)- 天保の大飢饉。当地では村人653人中529人が飢えたと残る。
1855年(安政2年)- 安政の大地震。当地では家屋128軒が倒壊。
1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県に属する。
1874年(明治7年)- 大区小区制により、当地は第4大区第3小区に属する。
1877年(明治10年)- 田島小学校が開校。
1889年(明治22年)- 町村制の成立により、田島村が成立。渡田はその大字となる。
1913年(大正2年)- 南部の埋立地で日本鋼管の工場が操業を開始。
1923年(大正12年)/田島村が町制を施行する。田島町渡田となる。
関東大震災。当地では80%の家屋が全半壊となる。
1927年(昭和2年)- 田島町が川崎市に編入される。川崎市渡田となる。
1936年(昭和11年)- 耕地整理により、渡田町・渡田山王町・渡田向町・渡田新町・東渡田が分立。
1938年(昭和13年)- 南渡田町が分立。
1944年(昭和19年)- 川崎市電が開通。当地に乗り入れる。
1969年(昭和44年)- 川崎市電が全廃される。
1970年(昭和45年)- 住居表示が実施される。
渡田1丁目~4丁目が起立。
渡田町は渡田・渡田新町・渡田向町・渡田東町・大島上町・貝塚の各一部となり消滅。
大字として残存していた渡田も、渡田・渡田東町・大島上町の各一部となり消滅。
1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行。川崎市川崎区渡田1丁目~4丁目となる。

町名の新旧対照

1970年(昭和45年)7月1日に住居表示が実施される前の町丁は、次のようになっていた。なお、特記のない場合、各丁目に含まれる施行前の町丁は、それぞれその一部。

世帯数と人口

2024年(令和6年)6月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通り。

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

鉄道

当地の南端を南武線(支線)がかすめており、近隣に川崎新町駅が所在する。なお、当地を通過する「市電通り」は、その名の通り1969年まで川崎市電が通っており、当地に電停も所在した。

路線バス

当地の北端にあたる神奈川県道101号扇町川崎停車場線(新川通)を川崎鶴見臨港バス(臨港バス)の多くのバスが通過するほか、臨港バスは当地を南北に進むバスも運行しており、さらに市電通りを市電とほぼ同経路で進む川40(川崎市交通局)も運行されている。

道路

神奈川県道101号扇町川崎停車場線(新川通)が当地の北端を通過している。

施設

明王山成就院/新田神社/川崎市立田島小学校

日本郵便

郵便番号 : 210-0837(集配局 : 川崎港郵便局)

警察

町内の警察の管轄区域は以下の通り。

参考文献

『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。 /『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。 /『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。

関連ページ

【参考】
町域名に「渡田」が含まれている住所一覧

検索ヒット数:8件
都道府県 市区町村 町域.
10群馬県 たかさきし高崎市 ほどたまち渡田
14神奈川県 かわさきしかわさきく川崎市川崎区 みなみわたりだちょう渡田
14神奈川県 かわさきしかわさきく川崎市川崎区 わたりだ渡田
14神奈川県 かわさきしかわさきく川崎市川崎区 わたりだむかいちょう渡田向町
14神奈川県 かわさきしかわさきく川崎市川崎区 わたりださんのうちょう渡田山王町
14神奈川県 かわさきしかわさきく川崎市川崎区 わたりだしんちょう渡田新町
14神奈川県 かわさきしかわさきく川崎市川崎区 わたりだひがしちょう渡田東町
15新潟県 さどし佐渡市 みとだ渡田
  • 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。