「栃木県 佐野市 田沼町」について
郵便番号 | 〒327-0317 |
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住所 | 栃木県 佐野市 田沼町 |
読み方 | とちぎけん さのし たぬまちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
09204 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「栃木県 佐野市 田沼町」の読み方は「とちぎけん さのし たぬまちょう」です。
- 「栃木県 佐野市 田沼町」の郵便番号は「〒327-0317」です。
- 「栃木県 佐野市」の地方公共団体コードは「09204」です。
「田沼町」の概要 from Wikipedia
田沼町(たぬままち)は、栃木県南西部(安足)に位置していた町。佐野市への通勤率は23.9%(平成12年国勢調査)。
2005年(平成17年)2月28日に、佐野市・安蘇郡葛生町と合併し、新たに佐野市を設置したため、廃止となった。地理
北海道(本島)最北端と九州(同)最南端から同距離の太平洋側の地点(茨城県神栖町)と日本海側の地点(新潟県上越市)を割り出し、その2点の中心点(北緯36度30分、東経139度30分)から「日本列島中心の地」として町おこしを行っていた。蓬山ログビレッジには「日本列島中心の地」碑、田沼駅近くの中央公園には「日本列島中心の町」碑がある。
山岳:根本山、熊鷹山、氷室山/河川:秋山川、旗川、彦間川、桐生川沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 田沼町、三好村(みよしむら)、野上村(のがみむら)、飛駒村(ひこまむら)、新合村(しんごうむら)の1町4村が発足。
1954年(昭和29年)3月31日 - 田沼町・三好村・野上村が合併し、新たに田沼町が発足。
1956年(昭和31年)9月30日 - 新合村・飛駒村が田沼町に編入。
1968年(昭和43年)4月1日 - 旧飛駒村の入飛駒地区が群馬県桐生市に編入。
2005年(平成17年)2月28日 - 佐野市・田沼町・葛生町が合併し、新たに佐野市が発足。人口
1920年(大正9年) :12,595人/1930年(昭和5年) :12,839人/1940年(昭和15年):13,175人/1950年(昭和25年):16,992人/1960年(昭和35年):30,243人/1970年(昭和45年):28,615人/1980年(昭和55年):29,854人/1990年(平成2年) :30,423人/2000年(平成12年):29,582人
行政
町長:小玉新(閉町時)
高等学校
栃木県立田沼高等学校
中学校
田沼町立東中学校(現・佐野市立田沼東中学校)/田沼町立西中学校(現・佐野市立あそ野学園義務教育学校)
小学校
(すべて現佐野市立)/田沼町立田沼小学校/田沼町立吉水小学校/田沼町立栃本小学校/田沼町立多田小学校/田沼町立戸奈良小学校/田沼町立三好小学校/田沼町立野上小学校/田沼町立山形小学校/田沼町立閑馬小学校/田沼町立下彦間小学校/田沼町立飛駒小学校/田沼町立長谷場小学校
鉄道路線
東武鉄道/佐野線:吉水駅 - 田沼駅 - 多田駅
道路
一般国道/国道293号/県道(主要地方道)/栃木県道16号佐野田沼線/群馬県道・栃木県道66号桐生田沼線
名所・旧跡
一瓶塚稲荷神社(3月上旬に初午祭が行われる)/どまんなかたぬま(道の駅)/三滝(下水道用マンホール蓋のデザインに採用)/須花坂トンネル(田沼町・足利市を繋ぐ手掘りトンネル)
祭事・催事
たぬまふるさと祭り(7月下旬)/どまんなかフェスタ(11月上旬)
出身人物・ゆかりのある人物
清水一行(小説家) - 父が田沼町出身/須賀田礒太郎(作曲家)- 戦時中に父方の実家のある田沼に疎開するも結核で早世、21世紀になってから自家の蔵から遺稿が発見され神奈川フィルハーモニー管弦楽団により紹介。
飯塚富司(プロ野球審判員、元プロ野球選手)/亀山弘章(元大相撲力士)関連項目
栃木県の廃止市町村一覧/田沼氏 - 名前はこの地の名に由来する。江戸時代に田沼意次を輩出し、田沼時代を築いたことで知られる。
外部リンク
佐野市・田沼町・葛生町合併協議会/国土地理院 地図閲覧サービス ウオッちず 2万5千分1地形図名:田沼[南東]/田沼町ホームページ(2005/02/20アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
関連ページ
【参考】
町域名に「田沼町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。