「滋賀県 大津市 石山寺」について
| 郵便番号 | 〒520-0861 |
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| 住所 | 滋賀県 大津市 石山寺 |
| 読み方 | しがけん おおつし いしやまでら |
| この地域の 公式HP |
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
25201 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「滋賀県 大津市 石山寺」の読み方は「しがけん おおつし いしやまでら」です。
- 「滋賀県 大津市 石山寺」の郵便番号は「〒520-0861」です。
- 「滋賀県 大津市」の地方公共団体コードは「25201」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「石山寺 (大津市)」の概要 from Wikipedia
石山寺(いしやまでら)とは滋賀県大津市にある地名。現行行政地名としては石山寺一丁目から五丁目ま。
地理
東は瀬田川、北は螢谷と国分一丁目、西は国分二丁目と大平一丁目・大平二丁目、南は平津一丁目・平津二丁目に隣接する。
石山は風光明媚な場所として知られ、瀬田川沿いに石山温泉が形成された。現在も石山寺の門前には飲食店や専門店が立ち並ぶ。その一方で、大津市役所石山支所や大津市立石山小学校が立地し、宅地化が進んだ地域でもある。
大津市立石山小学校の南側に瀬田川に注ぐ多羅川が流れている。別名、太郎川や陀羅尼川。この川は石山寺の僧が亡者のために川辺で陀羅尼を唱えたところ、川が逆流したことが由来。この川にそった地区は低平な谷底低地となっている。多羅川に沿って散策路や通学路として利用できる緑道が整備されている。伽藍山
伽藍山は標高は234mの山で、現在は全域が石山寺一丁目に編入されている。山麓は伽藍山公園として散歩道が整備されている。北側に毘沙谷があり、かつてはこの谷を隔てた先に近江国分寺の毘沙門堂があった。源平盛衰記には今井兼平が1184年(寿永3年)の戦でこの堂に陣したと記述が残る。この山の西側に滋賀県道醍醐大津線、東側に国道422号が通る。
この山の南麓に石山寺がある。石山寺硅灰石は天然記念物に指定されている。歴史
現在の石山寺3丁目で貝塚(石山貝塚)が発見され、この貝塚から縄文時代早期から前期までには人の定住が始まったとみられる。この当時、琵琶湖が現在と異なり、瀬田川も石山寺付近で幅が約270 mあったとみられる。なお、石山寺には他にも螢谷貝塚や石山寺内弥生遺跡(銅鐸が出土)も存在する。
石山寺縁起によればこの地域から五尺の銅鐸が掘り出されたという記録が残り、弥生時代に人が生活していたことが示唆される。後年の1806年(文化3年)にも石山寺4丁目から高さ0.9 mの銅鐸が発見されている。
7世世紀後半に良弁によって伽藍山に石山寺が開かれる。
中世に入ると寺辺庄(寺辺の庄または石山の庄)となり、江戸時代は石山寺の寺領となる。大津市南部は瀬田の唐橋を含め大半が膳所藩主の支配下に入った中で、寺辺村のみが石山寺領となった。寺辺村は全村をあげて石山寺への帰依が強く、また石山寺も領主として戸籍・税務を担い、信仰と統治の面で強いつながりを持っていたとみられる。膳所藩・石山寺とは領主の違いから紛争が絶えなかった。17世紀末から新田開発が始められ、灌漑用ため池の普請の願書や荒地の開墾の記録が残る。石山寺領の漁業も行われていたが、下流の黒津村などが優勢であり、1833年(天保4年)には石山寺から領民に対して漁業を制限する定書が下されるほどであった。
明治初年には米殻と茶が産物であった。1871年(明治4年)には社寺領上知令により石山寺の寺領から政府直轄地に移される。1889年(明治22年)4月に石山村の一部となる。1908年(明治41年)に大津県となり、1909年(明治42年)5月1日には滋賀県となる。1930年(昭和5年)に石山村が石山町となり、1933年(昭和8年)4月には大津市と合併する。同年5月1日に前身の大津市石山寺辺町となる。
現在の石山寺にあたる地域では水稲・野菜・花卉(菊)が主な農作物であった。1951年(昭和26年)には農家の生活を向上させる資金づくりを目的に農家の主婦24人で綿羊の導入し、生活改善グループを結成されたことがあった。読売新聞社が主催した「新生活モデル町村」で1952年(昭和27年)度に滋賀県で第1位となり、アメリカ・フレンズ奉仕団が視察に来たことがあった。
昭和40年 - 50年代にかけては大平にある石山団地が開発されたことで、その周辺で人口が急増。大津市内の商工業の従事者や京都・大阪への通勤者を中心とした住宅開発で、北は石山寺から南は平津・南郷にかけてまで宅地化が顕著に進んだ。1976年(昭和51年)7月1日に石山寺辺町から石山寺一丁目 - 五丁目、平津一丁目 - 二丁目が分離して、現在の大津市石山寺が成立。京滋バイパスが1988年(昭和63年)に開通したことで、観光いちご園があった郊外の牧歌的な雰囲気から景観が変わった。
1989年(平成元年)3月1日に石山から南郷の下水道が完成。石山寺三丁目に石山第一汚水中継ポンプ場が建設され、汚水が圧送されるようになった。水運
瀬田川流域では水運が行われていたとされ、石山寺地域では大浜に船着場があったとされる。1764年(宝暦14年)には石山寺参詣のための渡船について瀬田川対岸の当時の寺辺村と橋本村との間で協定が結ばれる。1894年(明治27年)に湖南汽船が大津 - 石山寺間に定期航路を開いた。石山寺門前に設けられた港は参詣客で賑わっていたという。
石山寺港からは瀬田の唐橋まで行って戻る遊覧船「一番丸」が運航されている。鉄道
鉄道は走っていない。石山寺までは京阪石山坂本線の石山寺駅から徒歩10分、JR東海道本線(琵琶湖線)の石山駅から京阪バスで10分。
京阪石山坂本線は螢谷が終点となっているが、建設前の構想では現在の石山寺山門までの路線が発起されたことがあった。道路
京滋バイパス(国道1号) - 石山インターチェンジ/国道422号(滋賀県道3号大津南郷宇治線:重複)/滋賀県道106号千町石山寺辺線/滋賀県道782号醍醐大津線/現在も石山寺に残る道標は1856年(安政3年)建立の「すぐ立木観音道 是より二十丁」や1785年(天明5年)建立の「右いわま道 すく宇治道 左石山道」がある。
1971年(昭和46年)に京滋バイパスの路線が発表されるのと前後して、環境問題を発端とした住民による道路建設反対運動が発生。1984年(昭和59年)に大津市長の見解や環境保全協定の締結によって一応収束するも、一部の住民から公害調停が滋賀県公害審査会に申請された。反対運動は京滋バイパスのルート変更を求める運動から、公害を少なくするための条件闘争に移行した。京滋バイパスの建設に伴い、国道422号や滋賀県道千町石山寺辺線、滋賀県道醍醐大津線などの道路の整備が行われた。1988年(昭和63年)8月29日に京滋バイパスは開通した。
京阪石山寺駅から石山寺を結ぶ国道422号の旧道は電線地中化工事が行われた。
地区内は通らないが、石山寺へは名神高速道路の瀬田西インターチェンジ・瀬田東インターチェンジが最寄りと案内されている。石山寺一丁目
石山寺 - 西国三十三所観音霊場第13札所。本堂や多宝塔などの国宝や多数の重要文化財を有する。景勝地としては近江八景「石山の秋月」として知られる。
石山寺郵便局 - 局前の郵便ポストは紫式部をデザインしたものとなっている。石山寺の土産品としてご当地フォルムカードや風景印が売られている。石山寺二丁目
西蓮寺 - 現在は浄土宗の寺院であるが、元々は真言宗の石山寺の寺跡。西蓮寺の創立から1872年(明治5年)1月に浄土宗に移るまでは、石山寺の支配下で葬儀などの仏事を西蓮寺が担っていた。1944年(昭和19年)には大阪から学童疎開を受け入れる。
新宮神社 - 壬申の乱で敗れた大友皇子とその一族をまつるため、死地である石山寺の境内あたりに三十八社五明神社が建てられ、その分霊を移したもの。祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊。新宮神社が鎮座する森は「寺辺の森」と呼ばれ、大津市指定の保護樹林となっている。祭礼は毎年5月5日だが、かつては3月に行われていた。
石山寺こども園石山寺三丁目
大津市立石山小学校/大津市立石山幼稚園/石山公園/大津市役所石山市民センター - 現在の場所に1986年(昭和61年)10月27日に開設された。
大津警察署石山南郷交番 - 1997年(平成9年)に石山寺交番・大平交番が合併して設置された。鉄筋コンクリート造2階建てで延べ面積約106 平方メートル。高齢者や障害者が利用しやすいようにスロープや車椅子カウンター、点字ブロックを設置。2階には地域住民が相談や交流に活用できる相談室が設けられた。
大津市消防局南消防署石山分団/石山市民体育館 - 1981年(昭和56年)の滋賀国体に合わせ、大津市内で新設された社会体育施設の1つ。
石山別所郵便局/寺辺団地/ファミリーマート大津石山寺南店/ミニストップ大津石山寺3丁目店/クスリのアオキ石山寺店石山寺四丁目
フレンドマート石山寺辺店/京阪バス大津営業所
学校
1875年(明治8年)10月に石山学校が開かれる。
1897年(明治30年)に石山尋常高等小学校が開校された。
現在の石山寺は石山学区にあたり、小学校は大津市立石山小学校、中学校は大津市立石山中学校に通学する。参考文献
大平山のあゆみ編集委員『大平山の歩み』大平会、1971年3月。 /竹内将人『湖南町村の四百年のあゆみ』立葵会、1978年4月1日。doi:10.11501/13163951。 /「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 25滋賀県』角川書店、1979年5月4日。 /斎藤喜栄治「滋賀県の道路事情」『道路交通経済』第8巻第2号、経済調査会、1984年、46-50頁、doi:10.11501/2840867。 /大津市役所『新修 大津市史5 近代』大津市役所、1982年7月18日。doi:10.11501/9538850。 /農林統計協会『地域農業の新しい動き : 現地にみる農業白書』農林統計協会、1982年8月。doi:10.11501/11990369。 /滋賀県教育委員会『湖南の漁撈活動』滋賀県教育委員会〈琵琶湖総合開発地域民俗文化財特別調査報告書 5〉、1983年3月。doi:10.11501/12168631。 /日本道路公団30年史編集委員会『日本道路公団三十年史』日本道路公団、1986年4月。 /大津市役所『新修大津市史9 南部地域』大津市役所、1986年11月29日。doi:10.11501/9540265。 /大津市議会『大津市議会史 記述編』大津市議会、1991年3月。doi:10.11501/13065478。 /木村至宏『目で見る大津の100年 : 大津市・滋賀郡志賀町』郷土出版社、1992年3月25日。doi:10.11501/12670662。 /大津市歴史博物館『大津の社』大津市〈ふるさと大津歴史文庫9〉、1992年10月。doi:10.11501/13287972。 /西村忠雄『京滋バイパス運動史 住民自治と真の民主主義を求めて』パレード、2019年8月5日。ISBN 978-4-434-26307-1。
関連項目
石山 (滋賀県)
関連ページ
【参考】
町域名に「石山寺」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。