郵便番号 211-0022
住所 神奈川県 川崎市 中原区 苅宿
読み方 かながわけん かわさきしなかはらく かりやど
この地域の
公式HP
※「川崎市」は、政令指定都市です。
地図

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地方公共
団体コード
14133
最寄り駅
(基準:地域中心部)
  • 元住吉駅(東急電鉄)
     …距離:876m(徒歩10分)
  • 平間駅(JR在来線)
     …距離:984m(徒歩12分)
  • 武蔵小杉駅(JR在来線)
     …距離:1.6km(徒歩20分)
周辺の施設、
ランドマーク等
  • 神奈川県立住吉高校《高校》
  • 川崎木月郵便局《郵便局》
  • 川崎苅宿郵便局《郵便局》
  • 中原消防署苅宿出張所《消防分署、出張所》
  • 川崎市立苅宿小学校《小学校》
  • ミアヘルサ保育園ひびき元住吉《保育所》
  • 小学館アカデミーかりやど保育園《保育所》
  • 川崎市立住吉中学校《中学校》
  • マックスバリュエクスプレス木月住吉店《スーパーマーケット》
  • セブンイレブン苅宿店《コンビニ》
  • ローソン木月住吉店《コンビニ》
  • 神奈川県 川崎市 中原区 苅宿」の読み方は「かながわけん かわさきしなかはらく かりやど」です。
  • 神奈川県 川崎市 中原区 苅宿」の郵便番号は「211-0022」です。
  • 神奈川県 川崎市中原区」の地方公共団体コードは「14133」です。

「苅宿 (川崎市)」の概要 from Wikipedia

…(2,691文字)

苅宿(かりやど)は、神奈川県川崎市中原区の町名。丁目のない単独行政地名。住居表示実施済区域。面積は27.5 ha。

地理

中原区の南部、二ヶ領用水の右岸に位置する。土地は多摩川の沖積低地であり、一帯は住宅地となっているほか、帝国通信工業や中小の工場が立ち並ぶ地帯でもある。北部を東海道新幹線が、南端を東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過している。
苅宿は北端で木月住吉町と、北東端で二ヶ領用水を挟んで市ノ坪と、東端で幸区鹿島田と、南端でガス橋通りを挟んで大倉町や幸区新川崎と、南西端で西加瀬や幸区北加瀬と接する(特記のない町域は中原区所属)。

地価

住宅地の地価は、2023年(令和5年)7月1日の公示地価によれば、苅宿4-39の地点で33万1000円/m²となっている。

中世以前

当地には古代に条里制が施行されたと見られており、また平将門が当地に一泊したという伝承が『新編武蔵風土記稿』に残るが、当地が文献に登場するのは1559年(永禄2年)の『小田原衆所領役帳』であり、「稲毛鹿島田借宿」とあったことから、当地が鹿島田の一部であり、また「借宿」と表記していたことが読み取れる。

近世

江戸時代の当地は苅宿村として一村となった。領主は旗本の杉田家であったが、明和期に杉田家が断絶したことで収公され、天領となり幕末に至っている。村高は、正保年間の『武蔵田園簿』から『元禄郷帳』、『天保郷帳』、幕末の『旧高旧領取調帳』まで200石と一定であった。水利は苅宿の北端で二ヶ領用水から分流していたが、干害に襲われることもあった。過重な助郷の負担で生活が困窮したこともあり、副業として紙すきが行われていた。古紙を原料としてちり紙を作るもので、最盛期には苅宿の42軒中35軒が手がけていた。

明治以降

明治維新以降、当地は神奈川県に属し、行政上は苅宿村→住吉村→中原町→川崎市と推移していった。明治中期頃から桃や梨の栽培が行われ、昭和期には野菜栽培も行われたが、1937年(昭和12年)に東京航空計器が進出して以降、多数の軍需工場が当地に作られ、また川崎大空襲での被害も受けた。
工場建設に合わせて住宅も建設されたが、都心への利便性もあり、1956年(昭和31年)以降に住宅建設が加速していった。その中には県や市、住宅公社などによるものも含まれ、また小学校も新設された。結果、当地の農地は他地域より早いうちから姿を消していった。

地名の由来

当地に平将門が宿したことに由来すると伝わるが、古代の鎌倉道が多摩川と交差する地点にも近いことから、正規の宿場でない宿があった地という見方もある。いずれにしても、『小田原衆所領役帳』には「借宿」とあり、江戸時代には「苅宿」へと転じている。

沿革

1559年(永禄2年)-『小田原衆所領役帳』に「稲毛鹿島田借宿」とある。
1611年(慶長16年)- 二ヶ領用水が開通。当地も潤される。
1628年(寛永5年)- 将軍の御鷹場となる。
明和年間 - 杉田家断絶。天領となる。
1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県に属する。
1874年(明治7年)- 大区小区制により、当地は第4大区第7小区に属する。
1889年(明治22年)- 町村制施行により住吉村が成立。苅宿はその大字となる。
1923年(大正12年)- 関東大震災。当地では八幡社だけが崩れ、民家の倒壊はなかった。
1925年(大正14年)- 住吉村の大半と中原村が合併して、中原町を新設。中原町苅宿となる。
1933年(昭和8年)- 中原町が川崎市に編入される。川崎市苅宿となる。
1937年(昭和12年)- 東京航空計器の工場が設置される。
1941年(昭和16年)- 三菱重工・荏原製作所・帝国通信工業・不二越精機・藤井精機などの工場が設置される。
1957年(昭和32年)- 川崎市立苅宿小学校が開校。
1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市へ移行。当地は川崎市中原区苅宿となる。鹿島田の一部を編入。
1974年(昭和49年)- 大倉町が成立。当地の一部も同町となる。
2009年(平成21年)- 住居表示実施。これに伴い木月住吉町、西加瀬、市ノ坪との境界を変更する。

世帯数と人口

2024年(令和6年)9月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通り。

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年3月時点)。

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

鉄道

当地を東海道新幹線が通過するが、駅はない(品川 - 新横浜間)。最寄りは元住吉駅や平間駅となる。

道路

当地の南端を、東京都道・神奈川県道111号大田神奈川線(ガス橋通り)が通過し、西加瀬との境界を市道苅宿小田中線(都市計画道路)が通る。

バス

川崎市バスと川崎鶴見臨港バスが、元住吉・井田病院、上平間、横須賀線小杉駅や川崎駅西口などへのバスを運行している。
川崎市バス/川66:井田病院、井田営業所、川崎駅西口、上平間/川崎鶴見臨港バス/川53:元住吉・末吉橋経由川崎駅西口(朝のみ)/川54:元住吉・小倉下町経由川崎駅西口(早朝・夜間のみ)/川55:横須賀線小杉駅、小倉下町経由 川崎駅西口/川60:新川崎駅経由川崎駅西口(昼のみ)/川61:矢向駅前経由川崎駅西口(朝のみ)/原62:中原駅、新川崎交通広場(朝夕それぞれ1往復のみ)/元02:新川崎交通広場・小倉方面(平日朝のみ)

施設

中原消防署苅宿出張所/川崎苅宿郵便局/苅宿商店街・苅宿本通商店街 - 地元の人に日用品を売るのが中心。
帝国通信工業/川崎市立苅宿小学校

日本郵便

郵便番号 : 211-0022(集配局 : 中原郵便局)。

警察

町内の警察の管轄区域は以下の通り。

参考文献

「苅宿村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ65橘樹郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763984/39。 /『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。 /『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。 /『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。 /新中原誌刊行会『川崎 新中原誌』有隣堂、1977年。

関連ページ

【参考】
町域名に「苅宿」が含まれている住所一覧

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都道府県 市区町村 町域.
7福島県 ふたばぐんなみえまち双葉郡浪江町 かりやど苅宿
14神奈川県 かわさきしなかはらく川崎市中原区 かりやど苅宿
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