「鳥取県 米子市 西倉吉町」について
郵便番号 | 〒683-0816 |
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住所 | 鳥取県 米子市 西倉吉町 |
読み方 | とっとりけん よなごし にしくらよしまち |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
31202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「鳥取県 米子市 西倉吉町」の読み方は「とっとりけん よなごし にしくらよしまち」です。
- 「鳥取県 米子市 西倉吉町」の郵便番号は「〒683-0816」です。
- 「鳥取県 米子市」の地方公共団体コードは「31202」です。
「西倉吉町」の概要 from Wikipedia
西倉吉町(にしくらよしまち)は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0816。
地理
市の中央部、市街地の中心部。東に東倉吉町、西に尾高町がある。
歴史
江戸期は米子城下十八町の1町で、町人地。町禄(町の専売権)としては畳表、ござ、呉服、小間物販売があった。宿屋も多かった。
1889年(明治22年)に米子町、1927年(昭和2年)から米子市に所属。1912年(明治45年)、一部が朝日町となった。区長
西倉吉区区長は以下の通り。
1889年中当選 青砥儀三郎/1893年中当選 青砥儀三郎/1906年中当選 木島亀三郎/1908年中当選 青砥清吉/1912年中当選 岩佐宇吉/1915年中当選 金田勝太郎/1922年中当選 岩佐宇吉/1925年中当選 近藤亀三郎産業
大正期には旅館が多く、また洋服屋、紙屋があった。
かつて存在した商工業者は、諸紙商並に商人定宿の近藤(湯藤屋)、和洋紙商の金田、製靴の判沢、食肉小売業の益田、鮮魚小売業の中島、酒小売業の八田、菓子の木島などがいた。
かつて存在した企業/協同建設 - 旧社名は株式会社赤沢組。人口
世帯数・人口は1923年(大正12年)、167世帯・695人。1955年(昭和30年)、189世帯・814人。1965年(昭和40年)、178世帯、614人。1975年(昭和50年)、135世帯・349人。
2024年(令和6年)8月31日現在は107世帯・157人。出身・ゆかりのある人物
赤沢康平(土木請負業)/赤沢正道(衆議院議員、自治大臣、国家公安委員会委員長) - 衆議院議員・赤沢亮正の祖父。
赤沢弘毅(医師、医学博士、赤沢医院院長) - 赤沢康平の四男、赤沢正道の弟。
遠藤光徳(鋳物諸工具製造業、米子市議会議員、鳥取県議会議員、米子市名誉市民) - 住所が西倉吉町。参考文献
白崎五郎七編『日本全国商工人名録』日本商工人名録発行所、1892年。
田中景瑩編『米子みやげ』金井友文館、1903年。
橋本治策編『関西実業名鑑 明治41年』関西実業名鑑編纂所、1908年。
多納佐三郎編『国民日用便覧 明治44年刊』報光社、1910、1911年。
深田豊一編『鳥取島根官民肖像録』博進館、1912年。
鳥取新報社編『鳥取県人名鑑 昭和5年版』鳥取新報社、1930年。
米子市編『米子自治史』米子市、1939年。
『鳥取県大鑑』山陰日日新聞社、1958年。
人事興信所編『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年。
鳥取県統計協会編『鳥取県事業所名鑑 昭和53年』鳥取県統計協会、1980年。
『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。
関連ページ
【参考】
町域名に「西倉吉町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。