「愛知県 岡崎市 西阿知和町」について
郵便番号 | 〒444-2111 |
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住所 | 愛知県 岡崎市 西阿知和町 |
読み方 | あいちけん おかざきし にしあちわちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 岡崎市 西阿知和町」の読み方は「あいちけん おかざきし にしあちわちょう」です。
- 「愛知県 岡崎市 西阿知和町」の郵便番号は「〒444-2111」です。
- 「愛知県 岡崎市」の地方公共団体コードは「23202」です。
「西阿知和町」の概要 from Wikipedia
西阿知和町(にしあちわちょう)は愛知県岡崎市岩津地区の町名。丁番を持たない単独町名であり、8つの小字が設置されている。
地理
岡崎市の北部に位置する。
河川
青木川
小字
字於新造(おしんぞう)/字上山ノ田(かみやまのた)/字御用田(ごようでん)/字下山ノ田(しもやまのた)/字中根(なかね)/字西簗井場(にしやないば)/字東簗井場(ひがしやないば)/字屋下(やした)
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
歴史
額田郡西阿知和村を前身とする。平城宮木簡によると、かつては鴨田郷厚石(あついわ)里と呼ばれていたが、やがて転訛したと考えられ、1226年には「阿智波郷」との記述が確認できる。
字於新造にある於新造古墳は、4世紀後半に作られた帆立貝形古墳で、安城周辺の勢力に従属し、長く有力者がいなかったこの一帯に、比較的大きな権力を有する豪族が現れたことが窺える。阿知和との地名の類似性からも、この豪族がやがて『先代旧事本紀』「国造本紀」にある物部連の祖・出雲色大臣の五世孫である參河国造・知波夜命に連なっていくものと考えられる。
三河国司藤原憲長と滝山寺の間で、阿知和郷の帰属が争われたが、12世紀に熱田神宮大宮司の藤原範忠により、滝山寺領として定められたとされる。
滝山寺の勢力の衰えにより、戦国時代には諸勢力により侵され、やがて松平信光の弟・松平信季が西阿知和城を居城とし阿知和氏を称した。江戸時代になり西阿知和村、東阿知和村となった。史跡
西阿知和城/大照院/若宮八幡宮/於新造古墳/東簗井場古墳/下山田第1号墳/下山田第2号墳/下山田第3号墳/御用田第1号墳/御用田第2号墳/御用田遺跡/御用田南遺跡
阿知和地区工業団地の計画
東名高速道路の東側、青木川の北側、岡崎市北部一般廃棄物最終処分場(東阿知和町字大入1-36)の西側の約57ヘクタールのエリアに「阿知和地区工業団地」を建設する計画が進んでいる。住所は東阿知波町字屋根場、同町字大入の一部、西阿知和町字上山ノ田、同町字東簗井場の一部、真福寺町の一部。
2008年(平成20年)7月31日、地元の町内会総代から市に対し計画を是とする内容の要望書が提出され、岡崎市は愛知県企業庁に早期事業採択を求めていた。
2018年(平成30年)11月19日、岡崎市は事業主体を県企業庁から市に移すと発表。県の当初計画では分譲開始が最短で2026年度であったが、市が事業主体になることで2年前倒しすることができると市は説明する。さらに同団地西側の東名高速道路のスマートインターチェンジの設置に向けた調整が容易になるという。
整備地区内には東阿知和町と西阿知和町の2町にまたがって、江戸前期から太平洋戦争終戦後まで使われていた石切り場が見つかっている。2019年度に用地買収、並行して2020年度までの埋蔵文化財の発掘調査を行った後、2021年から造成工事に着手する予定。整備事業費は概算で約171億円。
事業の計画と平行して、「(仮称)岡崎阿知和スマートインターチェンジ」を愛知県道339号長沢東蔵前線と愛知県道335号南大須鴨田線に挟まれた東名高速沿いの土地の南側4分の3ほどの部分に設置することも検討され、2019年(令和元年)9月27日、国土交通省は西阿知和町への設置を正式に許可した。交通
道路/東名高速道路/通過するのみである/真福寺道(都市計画道路井田町線)/春日通り
施設
若宮八幡宮/愛知県立岡崎聾学校/レオナ第二幼稚園
日本郵便
郵便番号 : 444-2111(集配局:岩津郵便局)。
参考資料
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
関連項目
岡崎市の地名
外部リンク
岡崎市役所