「愛知県 豊橋市 野依町」について
郵便番号 | 〒441-8124 |
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住所 | 愛知県 豊橋市 野依町 |
読み方 | あいちけん とよはしし のよりちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23201 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 豊橋市 野依町」の読み方は「あいちけん とよはしし のよりちょう」です。
- 「愛知県 豊橋市 野依町」の郵便番号は「〒441-8124」です。
- 「愛知県 豊橋市」の地方公共団体コードは「23201」です。
「野依町」の概要 from Wikipedia
野依町(のよりちょう)は、愛知県豊橋市の地名。
地理
豊橋市南東部に位置する。東は西七根町・天伯町・畑ケ田町、西は植田町、南は南大清水町・東赤沢町・東大清水町・若松町、北は芦原町・西高師町に接する。
河川
梅田川/西の川/浜田川
池沼
かご上池/かご下池/藤ヶ谷上池/藤ヶ谷中池/藤ヶ池下池/丸山池上池/丸山池下池/康神池
字一覧
相川(あいかわ)/井原(いはら)/上地(うえじ)/上ノ山(うえのやま)/上原(うえはら)/落合(おちあい)/鎌田(かまた)/上稲葉(かみいなば)/上鷺田(かみさぎた)/上三反田(かみさんたんだ)/上藤ケ谷(かみふじがや)/上古川(かみふるかわ)/神戸坂(かんべざか)/北(きた)/木戸口(きどぐち)/光明(こうみよう)/米野(こめの)/郷道(ごうどう)/郷西(ごうにし)/五反田(ごたんだ)/下鷺田(しもさぎた)/新切(しんきり)/神明山(しんめいやま)/次郎三(じろさん)/諏訪(すわ)/寸沢(すんざわ)/高田(たかだ)/竹尾(たけお)/中瀬古(なかぜこ)/南郷(なんごう)/西新屋(にしあらや)/西川(にしがわ)/西新切(にししんきり)/西中山(にしなかやま)/西畑(にしはた)/西物草(にしものくさ)/西屋敷(にしやしき)/西山(にしやま)/白山下(はくさんした)/八幡(はちまん)/花ノ木(はなのき)/浜田川(はまだがわ)/東新谷(ひがしあらや)/東欠(ひがしがけ)/東五反田(ひがしごたんだ)/東新切(ひがししんきり)/東中山(ひがしなかやま)/東物草(ひがしものくさ)/東屋敷(ひがしやしき)/東山(ひがしやま)/平子(ひらこ)/藤山(ふじやま)/古川(ふるかわ)/佛餉(ぶつしよう)/細田(ほそだ)/松割(まつわり)/南丸山(みなみまるやま)/三割(みわり)/向河原(むこうがわら)/森下(もりした)/八重屋舗(やえやしき)/薮下(やぶした)/山中(やまなか)/山ノ神(やまのかみ)/山脇(やまわき)/谷向(やむこう)
町名の由来
昔々野善(のよい)という村があったらしい。野善が訛って今の野依(のより)になったと考えられている。
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
沿革
江戸時代 - 吉田藩領の渥美郡野依村として所在。慶長9年には伊古部村・高塚村、寛永6年には東植田村・西植田村・仏餉村・切反ケ谷村をそれぞれ分村している。
1878年(明治11年) - 仏餉村・切反ケ谷村を再併合する。
1889年(明治22年) - 植野村大字野依となる。
1891年(明治24年) - 渥美郡野依村として再分離する。
1906年(明治39年) - 高師村大字野依となる。
1932年(昭和7年) - 豊橋市野依町となる。
1959年(昭和34年) - 天伯町・畑ヶ田町の各一部を編入する。
1962年(昭和37年) - 一部が天伯町に編入される。
1965年(昭和40年) - 一部が東大清水町・南大清水町にそれぞれ編入される。
1967年(昭和42年) - 一部が若松町に編入される。
1976年(昭和51年) - 一部が伊古部町に編入される。交通
愛知県道伊古部南栄線/愛知県道野依植田線
施設
豊橋市立野依小学校/野依校区市民館/野依保育園/豊橋市南部農協/野依たばこ生産組合/豊橋家具工業団地/野依町公民館/臨済宗妙心寺派仏鑑寺/嵩山寺/東雲寺/八幡社/素戔嗚社/野依福祉村/野依福祉村病院/軽費老人ホーム若菜荘/身体障害者療護施設珠藻荘/精神薄弱者更生施設あかね荘/イオン豊橋南店
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
関連項目
豊橋市の地名
外部リンク
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