「徳島県 徳島市 富田浜」について
郵便番号 | 〒770-0931 |
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住所 | 徳島県 徳島市 富田浜 |
読み方 | とくしまけん とくしまし とみだはま |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
36201 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「徳島県 徳島市 富田浜」の読み方は「とくしまけん とくしまし とみだはま」です。
- 「徳島県 徳島市 富田浜」の郵便番号は「〒770-0931」です。
- 「徳島県 徳島市」の地方公共団体コードは「36201」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「富田浜」の概要 from Wikipedia
富田浜(とみだはま)は、徳島県徳島市の町名。東富田地区に属している。富田浜1丁目から富田浜4丁目ま。郵便番号は〒770-0931。
人口
2011年6月。徳島市の調査より。
地理
徳島市の中央部、都心地域(中心市街地)南部の東富田地区北縁に位置する。西に流れる新町川の南岸で東西に伸び、川沿いの通りの南側(一部で両側)に広がる。
西から1~4丁目。この丁番は、南の仲之町 (徳島市)・南仲之町の1~4丁目と東西の位置が揃っている。
北は西流する新町川に面し、対岸の南内町と、町内ないしすぐ傍の橋で結ばれる。南は仲之町の商店街に接す。南北は一部を除き、平行する裏通が町境となっている。南からは、南北に伸びる伊月町(富田浜1・2丁目間)・富田橋(富田浜2・3丁目間)も伸びている。富田橋との町境は込み入っているが、おそらく富田橋は途切れずに富田浜2丁目と3丁目を分断して新町川まで達している。
東端では、南北に走るJR牟岐線が町境。道はアンダーパスで線路の下をくぐり国道55号と十字路をなす。西は両国橋公園を隔てて両国橋に接する。地形
河川:新町川
歴史
江戸時代には武家町で、富田浜側あるいは単に浜側と呼ばれた。東端から富田東御屋敷・西御屋敷・中老蜂須賀伊豆の屋敷などが並んだ。中央で渡場通(現 富田橋通り)が南から丁字路で接続して、現在の富田橋の位置から新町川に渡し舟が出ていた。
1889年の徳島市市制施行前は、名東郡富田浦町だった。市制により徳島市の大字となった。
1885年、県立徳島中学校(徳中、現 徳島県立城南高等学校)が現在の市役所の位置から西御屋敷跡に移転して来た。東隣の東御屋敷跡は徳中の運動場となった。
徳中西隣の蜂須賀伊豆屋敷跡は県公会堂となり、のちに徳島公園内に移築され、武徳殿(のちの旧武道館)となった。跡地は県庁となった(現在の県庁所在地とは異なる)。
もとは富田のちに富田浦町(江戸時代には富田、明治初期までに名東郡富田浦町、1889年の徳島市市制から徳島市の大字の富田浦町)の一部だったが、1941年に独立した町となった。町名の由来は、富田北東部が新町川の川沿いに面したことによる。1942年に船場町の一部を編入。1975年に両国橋の一部を編入。
1945年7月4日の徳島大空襲では、著しい戦火を受けた。施設
史跡・観光/三河家住宅/学校/和晃編物ファッションビジネス専門学校/企業/徳島大正銀行/公共施設/徳島県建設センター/宗教施設/浄土真宗本願寺派徳島教室
交通
町内に国道・県道・鉄道・バス停なし。
参考文献
『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603)
外部リンク
徳島市ホームページ
関連ページ
【参考】
町域名に「富田浜」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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24三重県 | よっかいちし四日市市 | とみだはまもとちょう富田浜元町 |
24三重県 | よっかいちし四日市市 | とみだはまちょう富田浜町 |
36徳島県 | とくしまし徳島市 | とみだはま富田浜 |
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