「神奈川県 横浜市 保土ケ谷区 川辺町」について
郵便番号 | 〒240-0001 |
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住所 | 神奈川県 横浜市 保土ケ谷区 川辺町 |
読み方 | かながわけん よこはましほどがやく かわべちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14106 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 横浜市 保土ケ谷区 川辺町」の読み方は「かながわけん よこはましほどがやく かわべちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 保土ケ谷区 川辺町」の郵便番号は「〒240-0001」です。
- 「神奈川県 横浜市保土ケ谷区」の地方公共団体コードは「14106」です。
「川辺町(横浜市)」の概要 from Wikipedia
川辺町(かわべちょう)は神奈川県横浜市保土ケ谷区の町名。丁番を持たない単独町名。住居表示未実施区域。面積は0.217km2。
地理
保土ケ谷区の東部に位置し、南西に星川、南に神戸町、南東に天王町、北に峰岡町、北東に宮田町、北西に和田と接している。国道16号と帷子川左岸にはさまれた一帯、および帷子川右岸の横浜市立帷子小学校の敷地の大半が町域となる。区役所や横浜市消防局の入る保土ケ谷区総合庁舎、保土ケ谷警察署、保土ヶ谷郵便局、NTT東日本保土ケ谷ビル(旧保土ケ谷電報電話局)、横浜市営バス保土ケ谷営業所などが立ち並ぶ、保土ケ谷区の行政の中心地。川辺公園・帷子川プロムナードは1995年度に市のまちなみ景観賞を受賞した。
沿革
1940年(昭和15年)11月1日 - 峰岡町字中通、峰岡町字川辺、宮田町字中通から川辺町を新設設置。町名は字から採られた。
1974年(昭和49年)3月6日 - 天王町の一部を編入。川辺町の一部を峰岡町へ編入。宮田町との境界の調整。
1976年(昭和51年)7月10日 - 天王町の一部を編入。
1976年(昭和51年)11月29日 - 星川町、和田町の各一部を編入。川辺町の一部を星川一丁目、和田町一丁目へ編入。工業
第二次世界大戦で焼失するまで、川辺町一帯には富士瓦斯紡績の大規模な紡績工場があった。1896年(明治29年)に東京市日本橋区で創業した富士紡績は、1889年(明治22年)創業で西谷村上星川で絹綿紡績の生産を行っていた日本絹綿紡績を1903年(明治36年)に買収。1906年(明治39年)に、保土ケ谷町帷子(現在の川辺町)に約17ヘクタールの土地を取得し、工場の建設を開始した。この土地は耕地整理が終わったばかりで、帷子川の水運と工業用水が利用できる好適地であった。売買には岡野欣之助らが斡旋している。同じく1906年には富士紡績は東京瓦斯紡績と合併、富士瓦斯紡績に社名を改めた。新工場は1908年(明治41年)に完成。同社は酒匂川水系に自社の発電所を有し、余剰電力を供給したことが、周辺に程谷曹達や日本硝子などが進出するきっかけとなった。さらに大正時代には、田園都市社の洗足田園都市にも電力を供給した。この工場で開発された、経糸・緯糸とも絹紡糸を使用した「富士絹」は捺染着尺や裏地などに使用され、男性が富士絹のワイシャツを着こなすことは当時のお洒落であった。1911年(明治44年)の工員数は男性754人、女性2814人にのぼり、1920年(大正9年)には男女あわせて6000人を越える県内最大規模の工場であった。現在の天王町商店街にあたる紡績前通りは伊勢佐木町、鶴見区の潮田商店街に次ぐ賑わいと言われた。
女工の大半は地方出身者で、高温多湿や埃など労働条件は良好なものではなかった。1923年(大正12年)の関東大震災では煉瓦造りの工場と寄宿舎が倒壊、工員454人が死亡した。生産再開ののち、高知県出身の中平はぎ子(その後結婚して梅津姓となる)が女性労働運動家として尽力した。
第二次世界大戦が始まると、繊維産業は不要不急であるとされ、1943年(昭和18年)に操業を休止し航空機工場となった。1945年(昭和20年)には天王町や宮田町とともに空襲に遭い、工場は焼失。戦後はGHQに接収され、モータープールとなった。1958年(昭和33年)に接収は解除。跡地の一部は日本硝子のビン置き場として使用され、1968年(昭和43年)5月に保土ケ谷警察署が岩間町から移転。1969年(昭和44年)10月には区役所や保健所、横浜市消防局などが入る保土ケ谷区総合庁舎が竣工した。1972年(昭和47年)4月に横浜市営バス保土ケ谷営業所が開設。1977年(昭和52年)11月にはニチイ天王町店(天王町サティを経て、2011年よりイオン天王町店)が開店した。1964年~1968年ごろには自動車教習所「保土ケ谷モータースクール」(のちに保土ケ谷ドライビングスクールに改称)が開業したが、1996年(平成8年)ごろに営業を終了。現在は高層マンション「パークシティ横濱」となっている。
町の西側には日本精糖の創業地である工場があったが、2001年のフジ製糖との合併により閉鎖。跡地はコーナンに賃貸され、ホームセンターが営業している。世帯数と人口
2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
道路
国道16号
施設
保土ケ谷区役所/保土ケ谷警察署/保土ヶ谷郵便局/イオン天王町ショッピングセンター/ホームセンターコーナン 保土ヶ谷星川店/中央労働金庫 星川支店/川辺公園/横浜市営バス保土ケ谷営業所
日本郵便
郵便番号 : 240-0001(集配局:保土ヶ谷郵便局)。
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考文献
『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年6月8日。 /横浜市市民局総務部住居表示課『横浜の町名』1996年12月。 /『保土ケ谷区史』保土ケ谷区史編集部会、1997年10月1日。 /“横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2023年6月6日閲覧。
関連ページ
【参考】
町域名に「川辺町」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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14神奈川県 | よこはましほどがやく横浜市保土ケ谷区 | かわべちょう川辺町 |
15新潟県 | ながおかし長岡市 | かわべまち川辺町 |
17石川県 | こまつし小松市 | かわべまち川辺町 |
22静岡県 | しずおかしあおいく静岡市葵区 | かわなべちょう川辺町 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうかみやまだ川辺町上山田 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうしもやまだ川辺町下山田 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうりょうぞえ川辺町両添 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうなかやまだ川辺町中山田 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょういまだ川辺町今田 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうふるとの川辺町古殿 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうみや川辺町宮 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうおの川辺町小野 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうひらやま川辺町平山 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうもとべっぷ川辺町本別府 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうながた川辺町永田 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうきよみず川辺町清水 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうたべた川辺町田部田 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうこうどの川辺町神殿 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうのさき川辺町野崎 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうのま川辺町野間 |
46鹿児島県 | みなみきゅうしゅうし南九州市 | かわなべちょうたかた川辺町高田 |
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。