「神奈川県 横浜市 磯子区 杉田」について
郵便番号 | 〒235-0033 |
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住所 | 神奈川県 横浜市 磯子区 杉田 |
読み方 | かながわけん よこはましいそごく すぎた |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14107 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 横浜市 磯子区 杉田」の読み方は「かながわけん よこはましいそごく すぎた」です。
- 「神奈川県 横浜市 磯子区 杉田」の郵便番号は「〒235-0033」です。
- 「神奈川県 横浜市磯子区」の地方公共団体コードは「14107」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「杉田 (横浜市)」の概要 from Wikipedia
杉田(すぎた)は、神奈川県横浜市磯子区南部の町名。現行行政地名は杉田一丁目から杉田九丁目。住居表示実施済み区域。
本稿では、1927年(昭和2年)4月1日より1988年(昭和63年)まで存在した杉田町(すぎたちょう)及び、そこから分離新設した杉田坪呑(すぎたつぼのみ)についても述べる。杉田一丁目
磯子産業道路と京急本線に挟まれた地域で、国道16号聖天橋交差点から京急杉田駅にかけて東西に商店街「ぷらむろーど杉田」が通る。町の北側には杉田小学校がある。杉田駅に隣接して東急ストアを核テナントとする再開発ビル「プララ杉田」、磯子産業道路と国道16号に挟まれた一角に再開発ビル「らびすた新杉田」がある。らびすた新杉田の4・5階に入居する磯子区民文化センター「杉田劇場」は客席数310席で、1945年(昭和20年)から1950年(昭和25年)まで存在し、美空ひばりが初舞台を踏んだ(旧)杉田劇場から名前を採った。併設のヨコハマ・シーナリータワーは高さ99.9メートルで、磯子区有数の超高層マンション。
杉田二・三丁目
京急本線と笹下釜利谷道路に挟まれた地域で、北側は中原、南側は杉田坪呑に接する。二・三丁目の境に神奈川県道22号横浜伊勢原線(杉田新道)が通り、北側が二丁目、南側が三丁目となる。根岸湾と笹下川に挟まれた丘陵地で、急傾斜地も多い。杉田新道は1913年(大正2年)に着工され、開通当初はトンネルだったが関東大震災により崩壊し、以降は切通しとなった。三丁目の西側に浜中学校がある。
杉田四・五丁目
京急本線の東側の住宅街。五丁目の産業道路より東側には杉田ゴルフ場や南横浜自動車学校など西武グループの施設があったが、首都高速湾岸線用地確保のため金沢区福浦に移転し、跡地には首都高速道路のほか新杉田公園やスポーツセンターが建設された。海岸沿いにヨコハママリーナと磯子マリーナの2軒のヨットハーバーがある。五丁目南側には梅林小学校があり、付近を環状3号線杉田梅林トンネルが通る。かつては妙法寺を中心として梅の名所「杉田梅林」として賑わった。宅地化でその多くが失われた現在でも梅林小学校や杉田梅林ふれあい公園に名残が見られる。
杉田六-九丁目
1965年(昭和40年)頃から開発された新興住宅地。南東側は金沢区富岡西に接する。
杉田坪呑
環状3号線沿いにあり、1985年(昭和60年)頃に杉田台団地が建設された。目の前をJR根岸線が通るが新杉田駅・洋光台駅とも1.5キロメートルほど離れているため、徒歩15分ほどの京急杉田駅か、新杉田駅発着の路線バスの利用が主となる。
地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、杉田4-8-50の地点で22万4000円/m2となっている。
面積
面積は以下の通り。
沿革
紀元前2000年-500年 杉田に貝塚があった。
1868年(明治元年)/6月17日 - 廃藩置県により神奈川府を設置。神奈川府久良岐郡杉田村となる。
9月1日 - 神奈川府が神奈川県となり、神奈川久良岐郡杉田村となる。
1873年(明治6年)5月 - 森田学舎(しんでんがくしゃ、のちの杉田小学校)開設。
1878年(明治11年) - 大火が起き、聖天橋付近から杉田八幡宮まで約40軒焼失。
1889年(明治22年)4月1日 - 杉田村、森中原村、磯子村、滝頭村、岡村が合併し、久良岐郡屏風浦村大字杉田となる。
1925年(大正14年)11月5日 - 横浜市電磯子 - 聖天橋間開通。
1927年(昭和2年)/4月1日 - 屏風浦村が横浜市に編入。横浜市杉田町となる。
10月1日 - 区制施行、横浜市磯子区杉田町となる。
1930年(昭和5年)/4月1日 - 湘南電気鉄道(現・京浜急行電鉄)の黄金町 - 浦賀間開通。当初は杉田には駅が設けられなかった。
7月1日 - 杉田駅が仮駅として開設。
1931年(昭和6年)5月1日 - 杉田駅が正式に開業。
1933年(昭和8年) - 滝頭 - 峰に市営バス開通。
1935年(昭和10年) - 横浜 - 横須賀に、現在の京浜急行バス開通。
1947年(昭和22年)4月1日 - 浜中学校開校。
1960年(昭和35年)4月1日 - 梅林小学校開校。
1964年(昭和39年)3月24日 - 新杉田町を埋立編入。
1970年(昭和45年)3月17日 - JR根岸線磯子 - 洋光台間開通、新杉田駅開設。
1974年(昭和49年) - 家系ラーメン発祥である「吉村家」がオープンする(1999年に横浜駅西口に移転、同時に吉村家直系1号店として杉田家がオープン)。
1978年(昭和53年)7月17日 - 杉田町の北半分が杉田一-五丁目となり、住居表示実施。
1979年(昭和54年)7月23日 - 杉田町の南側で住居表示実施、杉田六-九丁目となる。
1988年(昭和63年)11月21日 - 杉田町の残部で住居表示実施、杉田坪呑となる。これにより杉田町は消滅。
1989年(平成元年)7月5日 - 金沢シーサイドライン新杉田駅開業。
1993年(平成5年)4月 - 杉田駅前の再開発ビル「プララ杉田」オープン。
1999年(平成11年)4月14日 - 環状3号線青砥坂交差点 - 杉田坪呑間開通。
2004年(平成16年)9月29日 - 新杉田駅前の再開発ビル「らびすた新杉田」オープン。杉田
2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
杉田坪呑
2023年(令和5年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。なお、杉田と杉田坪呑との合算数となる。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。なお、杉田と杉田坪呑との合算数となる。
交通
杉田一丁目に京急本線杉田駅、新杉田町にJR根岸線新杉田駅があり、両路線の利用が中心となるほか、国道16号を経由し横浜駅 - 杉田、磯子駅 - 追浜方面を結ぶ京浜急行バスが利用できる。杉田二・三丁目は磯子駅から杉田駅を経由し峰の郷・氷取沢を結ぶ市営バス、六・七丁目と杉田坪呑は新杉田駅発着大谷団地循環の市営バス、八・九丁目は京急富岡駅発着富岡9期ニュータウン循環・能見台センター・金沢文庫駅西口行きの京浜急行バスの便がある。
杉田(横浜市)と縁のある人物
美空ひばり(歌手)‐(旧)杉田劇場で初舞台を踏んだ。
日本郵便
集配担当する郵便局と郵便番号は以下の通り。
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考資料
『磯子区制80周年記念誌』 2007年(平成19年)9月磯子区役所総務部地域振興課発行/『県別マップル 神奈川県広域・詳細道路地図』 2006年(平成18年)4刷
外部リンク
杉田日記 江戸時代、梅の名所だった杉田へ梅見に行った清水浜臣の日記
関連ページ
【参考】
町域名に「杉田」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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7福島県 | にほんまつし二本松市 | すぎたなかのうち杉田仲之内 |
7福島県 | にほんまつし二本松市 | すぎたまち杉田町 |
7福島県 | にほんまつし二本松市 | すぎただんごうち杉田駄子内 |
14神奈川県 | よこはましいそごく横浜市磯子区 | しんすぎたちょう新杉田町 |
14神奈川県 | よこはましいそごく横浜市磯子区 | すぎた杉田 |
14神奈川県 | よこはましいそごく横浜市磯子区 | すぎたつぼのみ杉田坪呑 |
16富山県 | とやまし富山市 | やつおまちすぎた八尾町杉田 |
22静岡県 | ふじのみやし富士宮市 | すぎた杉田 |
28兵庫県 | しそうし宍粟市 | いちのみやちょうすぎた一宮町杉田 |
35山口県 | しものせきし下関市 | ひこしますぎたちょう彦島杉田町 |
39高知県 | かみし香美市 | とさやまだちょうすいた土佐山田町杉田 |
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。