「神奈川県 横浜市 港北区 箕輪町」について
郵便番号 | 〒223-0051 |
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住所 | 神奈川県 横浜市 港北区 箕輪町 |
読み方 | かながわけん よこはましこうほくく みのわちょう |
この地域の 公式HP |
※「横浜市」は、政令指定都市です。
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14109 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 横浜市 港北区 箕輪町」の読み方は「かながわけん よこはましこうほくく みのわちょう」です。
- 「神奈川県 横浜市 港北区 箕輪町」の郵便番号は「〒223-0051」です。
- 「神奈川県 横浜市港北区」の地方公共団体コードは「14109」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「箕輪町(横浜市)」の概要 from Wikipedia
箕輪町(みのわちょう)は、神奈川県横浜市港北区の町名。現行行政地名は箕輪町一丁目から箕輪町三丁目。住居表示実施済区域。
地理
港北区の北東部に位置し、北東と東に日吉、南に綱島東、西と北西に日吉本町と接している。
面積
面積は以下の通り。
地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によると、箕輪町三丁目23-11の地点で329,000円/m²となっている。
沿革
かつてはこの場所は、橘樹郡箕輪村であった。
1872年(明治5年)10月10日 - 大区小区制に伴い、南綱島村・北綱島村・樽村・大曽根村・太尾村とともに神奈川県第3大区7小区となる。
1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法に伴い、自治体としての村が復活。神奈川県橘樹郡箕輪村となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 箕輪村が矢上村・駒林村・駒ケ橋村・南加瀬村・小倉村・鹿島田村の各村と合併して日吉村となり、橘樹郡日吉村大字箕輪となる。
1937年(昭和12年)4月1日 - 日吉村の西部が横浜市に編入し、横浜市神奈川区箕輪町となる(小字は存置)。
1939年(昭和14年)4月1日 - 港北区の新設により、横浜市港北区箕輪町となる。
1949年(昭和24年)3月1日 - 耕地整理に伴い、箕輪町の一部を綱島町へ編入、北綱島町の一部を箕輪町に編入、日吉本町との境界を変更。
1952年(昭和27年)7月5日 - 耕地整理に伴い、日吉町との境界を変更。
1969年(昭和44年)10月1日 - 行政区の再編成に伴い、港北区を再配置。横浜市港北区箕輪町となる。
1977年(昭和52年)8月1日 - 住居表示の実施に伴い、箕輪町の一部を日吉四丁目へ編入、日吉町の一部を箕輪町に編入。
1985年(昭和60年)2月17日 - 日吉五丁目との境界を変更。
1987年(昭和62年)7月20日 - 住居表示の実施に伴い、箕輪町の一部を日吉本町三丁目、日吉本町四丁目へ編入、日吉本町の一部を箕輪町に編入。
1988年(昭和63年)7月25日 - 住居表示の実施に伴い、箕輪町の一部を日吉本町一丁目、日吉本町四丁目へ編入、日吉本町の一部を箕輪町に編入。
1989年(平成元年)10月20日 - 住居表示の実施に伴い、箕輪町を廃止し、箕輪町一丁目、箕輪町二丁目、箕輪町三丁目を新設。
1994年(平成6年)11月6日 - 行政区の再編成に伴い、港北区を再配置。横浜市港北区箕輪町一丁目〜三丁目となる。世帯数と人口
2023年(令和6年)4月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
施設
日本大学高等学校・中学校/横浜市立箕輪小学校/東京綜合写真専門学校/大聖院/諏訪神社/株式会社コーエーテクモホールディングス本社
日本郵便
郵便番号 : 223-0051(集配局:綱島郵便局)
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通り。
参考文献
“横浜市町区域要覧” (PDF). 横浜市市民局 (2016年6月). 2022年9月6日閲覧。
関連文献
「箕輪村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ66橘樹郡ノ9、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763984/63。
関連ページ
【参考】
町域名に「箕輪町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。