「神奈川県 鎌倉市 十二所」について
郵便番号 | 〒248-0001 |
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住所 | 神奈川県 鎌倉市 十二所 |
読み方 | かながわけん かまくらし じゅうにそ |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
14204 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「神奈川県 鎌倉市 十二所」の読み方は「かながわけん かまくらし じゅうにそ」です。
- 「神奈川県 鎌倉市 十二所」の郵便番号は「〒248-0001」です。
- 「神奈川県 鎌倉市」の地方公共団体コードは「14204」です。
「十二所 (鎌倉市)」の概要 from Wikipedia
十二所(じゅうにそ)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。鎌倉市の北東端に位置し、横浜市金沢区と接する。住居表示未実施区域。
地理・歴史
地名の由来は、天保9年(1838年)まで光触寺境内にあった鎮守熊野三山の「熊野十二所権現社」(現在の十二所神社)に由来する。『新編鎌倉志』では「民家が十二軒あったことによる」と記載されているが、これは俗説。
初見は文和4年(1355年)9月の『頬焼阿弥陀縁起奥書』に「十二所道場」と記載されている。この道場は光触寺を指している。熊野社は「大倉の熊野堂」と称し、鎌倉における熊野信仰の拠点であった。
上杉禅秀の乱では鎌倉公方足利持氏が岩殿寺から十二所を経て小坪、由比ヶ浜、佐助へと逃走したという記録が残っている。
天正19年(1591年)の「徳川家康寄進状」では十二所において建長寺、東慶寺両寺の寺領が寄進されている。幕末には五十八貫余の寺領があった。『新編相模国風土記稿』において二階堂村の項に、十二所村民戸26戸と記載され、明治3年(1870年)には家数42戸、人別198人とされている。地価
住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、十二所字鑪谷665番9の地点で11万4000円/m2となっている。
世帯数と人口
2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)。
事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通り。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
道路
神奈川県道204号金沢鎌倉線
行政施設
鎌倉霊園
寺社
光触寺/明王院/十二所神社
史跡
朝夷奈切通(国指定史跡)
日本郵便
郵便番号 : 248-0001(集配局 : 鎌倉郵便局)。
関連項目
高瀬弥一 - 鎌倉郡十二所村の名主・山口家の末裔
参考文献
「山之内庄二階堂村上」『大日本地誌大系』 第39巻新編相模国風土記稿4巻之90村里部鎌倉郡巻之22、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179229/176。 /「山之内庄十二所村」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之93村里部鎌倉郡巻之25、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/7。 /河井恒久 等編 編「巻之二 十二所村」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、41頁。NDLJP:952770/35。 /奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999/三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
関連ページ
【参考】
町域名に「十二所」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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5秋田県 | おおだてし大館市 | じゅうにしょ十二所 |
7福島県 | あいづわかまつし会津若松市 | きたあいづまちじゅうにしょ北会津町十二所 |
14神奈川県 | かまくらし鎌倉市 | じゅうにそ十二所 |
28兵庫県 | ひめじし姫路市 | じゅうにしょまえちょう十二所前町 |
28兵庫県 | やぶし養父市 | じゅうにしょ十二所 |
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