「愛知県 名古屋市 西区 稲生町」について
| 郵便番号 | 〒451-0012 |
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| 住所 | 愛知県 名古屋市 西区 稲生町 |
| 読み方 | あいちけん なごやしにしく いのうちょう |
| この地域の 公式HP |
※「名古屋市」は、政令指定都市です。
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| 地図 | |
| 地方公共 団体コード |
23104 |
| 最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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| 周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「愛知県 名古屋市 西区 稲生町」の読み方は「あいちけん なごやしにしく いのうちょう」です。
- 「愛知県 名古屋市 西区 稲生町」の郵便番号は「〒451-0012」です。
- 「愛知県 名古屋市西区」の地方公共団体コードは「23104」です。
- ■f03: 丁目を有する町域。
- 郵便番号を設定した町域(大字)が複数の小字を有しており、各小字毎に番地が起番されているため、町域(郵便番号)と番地だけでは住所が特定できない町域。
「稲生町 (名古屋市)」の概要 from Wikipedia
稲生町(いのうちょう)は、愛知県名古屋市西区の地名。現行行政地名は稲生町字杁先と稲生町1丁目から稲生町7丁目。住居表示未実施。
地理
名古屋市西区東部に位置する。東は桝形町、西は庄内通・名塚町、南は江向町、北は北区福徳町に接する。西から順に1丁目~7丁目があり、字杁先が北側に所在する。
河川
矢田川/庄内川
歴史
稲生町1丁目には古代から中世の須恵器などが出土する「稲生遺跡」がある。
町名の由来
江戸期の春日井郡稲生村を前身とする。中世までは山田郡に属した。
平安中期成立の『延喜式神名帳』に「山田郡...伊奴神社」とあり、伊奴神社の「伊奴」(いぬ)が転じて「稲生」になったという説がある。語源については諸説あり、藺沼(いぬま)から転じた説、伊奴の表記が犬に通じることを避けるため表記を稲生に改めた説などがある。
「稲生」という地名自体は南北朝期から確認でき、貞治4年(1365年)付『足利義詮安堵状』に「尾張国山田庄内水田弐町 在稲生郷 地頭免田内」とある。この他に『山王一心三観相伝』応永12年(1405年)奥書に「尾州山田荘稲生」、『梅花無尽蔵』に「山田稲生庄光音寺」とあり、室町期には「稲生郷」「稲生庄」と称したらしい。戦国期には稲生の戦いが起きたことで知られている。行政区画の変遷
1880年(明治13年) - 所属していた春日井郡の分割に伴い、西春日井郡に所属。
1889年(明治22年)10月1日 - 庄内村に編入され、同村大字稲生となる。
1926年(大正15年)4月1日 - 町制施行に伴い、庄内町大字稲生となる。
1937年(昭和12年)3月1日 - 合併に伴い名古屋市西区稲生町となる。
1942年(昭和17年)2月1日 - 一部が庄内通・桝形町・江向町・又穂町・香呑町・天塚町および中丸町・光音寺町にそれぞれ編入される。
1945年(昭和20年)1月1日 - 一部が光音寺町に編入される。
1949年(昭和24年)2月1日 - 一部が庄内通に編入される。
1954年(昭和29年)5月1日 - 一部が城北町および貝田町にそれぞれ編入される。
1956年(昭和31年)7月13日 - 一部が光音寺町に編入される。世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
バス
名古屋市営バス(名古屋市交通局)/城北つばさ高校停留所/ウのりば - ■栄13号系統(栄行)/稲生町停留所/アのりば - ■栄13号系統(安井町西行)/イのりば - ■栄13号系統(栄行)
道路
愛知県道63号名古屋江南線(通称:名草線)/愛知県道202号守山西線
施設
福徳郵政宿舎/名古屋市営稲生荘/稲生公園/庄内橋自動車学校/安性寺/妙本寺/伊奴神社/天理教名古屋志賀布教所
日本郵便
郵便番号 : 451-0012(集配局:名古屋西郵便局)。
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
関連項目
名古屋市の地名/名古屋市西区主婦殺害事件/稲生町
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、稲生町 (名古屋市)に関するカテゴリがあります。
関連ページ
【参考】
町域名に「稲生町」が含まれている住所一覧
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。