「宮城県 石巻市 蛇田」について
郵便番号 | 〒986-0861 |
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住所 | 宮城県 石巻市 蛇田 |
読み方 | みやぎけん いしのまきし へびた |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
04202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「宮城県 石巻市 蛇田」の読み方は「みやぎけん いしのまきし へびた」です。
- 「宮城県 石巻市 蛇田」の郵便番号は「〒986-0861」です。
- 「宮城県 石巻市」の地方公共団体コードは「04202」です。
- ■f02: 小字毎に番地が起番されている町域。
「蛇田」の概要 from Wikipedia
蛇田(へびた)は、宮城県石巻市にある大字および地域名(後述)。旧牡鹿郡蛇田村の一部に相当する。郵便番号は986-0861。
地理
蛇田は石巻市の西部に位置し、蛇田駅前に家屋が密集している。また、多くの町丁および大字に囲まれており、北で鹿又、旧北上川を境にして東で南境、北上運河を境にして南東で境谷地や新橋、南で門脇、西で須江と接し、囲うように蛇田地域を構成するその他の町丁と接する。
河川など
北上運河/旧北上川/嘉右衛門堀
歴史
蛇田の名の資料上の初見は1631年(寛永8年)の伊達政宗領地黒印状にある「小鹿之内へびた」。
寛政4年(1792年)成立の伊達世臣家譜の中に、「元和8年実信嘗受新田于牡鹿郡蛇田邑、開三百九十九石一升之由」と記されており、江戸期、蛇田が地名として成立していたことが明らかになっている。
1646年(正保3年)には、伊具郡小斎邑主佐藤家の次男、佐藤定信が宍戸、森、高瀬、斎藤、星、伏見、氏家、大田、遠藤、木村、小川、高橋などといった侍40人と足軽33人、73家中総勢150人を連れて、蛇田の野谷地へと移住する。沿革
367年(仁徳天皇55年) - 上毛野田道将軍が戦死。
1633年(寛永10年) - 蛇田村山下に桂林山禅昌寺が開山。
1646年(正保3年) - 伊具郡小斎邑主佐藤氏から分かれた佐藤定信が蛇田の野谷地を拝領し、新田開発をはじめる。
1663年(寛文3年) - 蛇田村の愛宕山東雲寺が現在地に移転。
1666年(寛文6年) - 蛇田村蛇田町が開町。
1753年(宝暦3年) - 蛇田町から出火し、307軒が焼ける。
1874年(明治7年) - 蛇田村のうち蛇田町、蛇田頭、蛇田浦内、蛇田浦外が石巻村に編入。
1889年(明治22年) - 町村制が施行され、蛇田村が成立。
1928年(昭和3年) - 宮城電気鉄道が小野〜石巻間開通。
1933年(昭和8年) - 蛇田村の一部が石巻市に編入。
1949年(昭和24年) - 蛇田村の明神山、山下、山下西、鍋倉、鍋倉前、南谷地、七窪、横堤、横堤前、揚慮原(うつぎはら)、揚慮原西、深淵、境谷地、清水尻、清水尻西、西中里、東中里、面剣田、水押が石巻市へ編入。
1953年(昭和28年) - 蛇田村、鹿又村と境界変改が行われる。
1955年(昭和30年) - 蛇田村が石巻市に編入され、石巻市蛇田となる。
1972年(昭和47年) - 石巻市蛇田・向陽町1〜5丁目に分離。
1973年(昭和48年) - 蛇田ニュータウンが完成。
1998年(平成10年) - 石巻河南インターチェンジ開通。
2006年(平成18年) - 石巻赤十字病院が湊から蛇田地区に新築移転。
2013年(平成25年)5月11日 - 蛇田西部土地区画整理事業に伴い、蛇田字福村南・蛇田字菰継・蛇田字五軒屋敷・蛇田字五軒屋敷前・蛇田字新金沼の各一部を分離し、茜平が設置される。
2014年(平成26年)2月22日 - 蛇田北部土地区画整理事業に伴い、蛇田字東道下・蛇田字西道下の各一部を分離し、わかばが設置される。
2014年(平成26年)5月10日 - 蛇田中央土地区画整理事業に伴い、蛇田字芋殻町・蛇田字新金沼・蛇田字新大埣蛇田字太田切・蛇田字大埣・蛇田字福村南の各一部を分離し、恵み野が設置される。
2017年(平成29年)5月21日 - あけぼの北地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字西道下の一部を分離し、あけぼの北が設置される。
2017年(平成29年)11月3日 - 新蛇田地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字新立野・蛇田字新沼田の各一部を分離し、のぞみ野が設置される。
2018年(平成30年)8月25日 - 新蛇田南・新蛇田南第二地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字上前沼、蛇田字新西前沼、蛇田字新沼田、蛇田字西沼田、蛇田字細田と門脇字青葉西の各一部を分離し、あゆみ野が設置される。
2020年(令和2年) - 石巻市蛇田支所・公民館が新築移転で供用開始。名称の由来
名称の由来は諸説ある。中でも有力とされるものを下に挙げる。
蛇田道公説/日本書紀仁徳天皇五十五年条にある/という、田道が大蛇となって蝦夷を破った伝説を信じた村人が、蛇田道公と田道を尊称し、祠を建て祀ったことを由来とする説。
現に蛇田には、田道が戦死したとされる面剣田という小字が存在し、1801年(享和元年)に山下町の禅昌寺で「霊蛇田道古墳」(高さ95センチ・幅34センチ)と記された石碑が発見されている。
蛇多説/1773年(安永2年)三月成立の蛇田村風土記御用書出の冒頭に、「一村名ニ付由来」として次の伝承が記されている。
このように蛇田村風土記御用書出には、燕がくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、蛇多村と命名し、後年に蛇田と改称したと記されている。なお、伝承にある蛇塚とは、蛇田村風土記御用書出によると/とある。施設
石巻赤十字病院/宮城県立石巻支援学校/石巻市立蛇田小学校/石巻たから保育園/JAいしのまきローンセンター
鉄道
JR仙石線・仙石東北ライン/蛇田駅
道路
三陸沿岸道路/石巻河南IC/石巻女川IC/国道45号/国道108号/国道398号/宮城県道16号石巻鹿島台大衡線
小字
蛇田には以下の小字が存在する。
消滅した小字
石巻市への編入や住居表示実施の結果、2024年2月現在では消滅している小字を列挙する。
水押:1949年に石巻市に編入。
新境谷地:1949年に石巻市に編入。
西中里:1949年に石巻市に編入。
新西中里/東中里:1949年に石巻市に編入。
清水尻:1949年に石巻市に編入。
清水尻西:1949年に石巻市に編入。
新清水尻/深渕:1949年に石巻市に編入。
境谷地:蛇田村と鹿股村の境界あたりにあった谷地を由来とする。1949年に石巻市に編入。
横堤:1949年に石巻市に編入。
横堤南:1949年に石巻市に編入。
新横堤/揚慮原(うつぎはら):1949年に石巻市に編入。
揚慮原西:1949年に石巻市に編入。
山下:明神山の山麓にあることを由来とする。1949年に石巻市に編入。
明神山:1949年に石巻市に編入。
山下西/七窪:1949年に石巻市に編入。
鍋倉:1949年に石巻市に編入。
鍋倉前:1949年に石巻市に編入。
新鍋倉/太田切/久七前/新浜江場/面剣田:上毛野田道が戦死した場所とされる。1949年に石巻市に編入。学校
市立の公立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
東日本大震災
2011年に起きた東日本大震災では34名の住民が犠牲となった。
また、近隣に位置する門脇の地震計は震度6弱を記録した。
2012年11月30日時点の蛇田における世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通り。蛇田地域
蛇田地域(へびたちいき)もしくは蛇田地区(へびたちく)は石巻市蛇田支所の管区内にある地域の名前。のぞみ野など開発が特に進んでいる地区は特に新蛇田地区といわれる。
概要
近年、大字蛇田を含む蛇田地区(蛇田支所管区内)は開発が進んでおり、国勢調査によると2020年は2015年と比べて人口は12.58%、世帯数は16.53%増加しており、石巻市で最も人口が増加している地域であると言える。
ちなみに、蛇田地域は蛇田の名を冠するが、石巻市蛇田支所は大字蛇田ではなく、恵み野2丁目にある。範囲
蛇田、向陽町、新境町、丸井戸、あけぼの、茜平、わかば、恵み野、あけぼの北、のぞみ野、あゆみ野を範囲とする。
参考文献
平凡社地方資料センター 『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻) 平凡社、1987年。
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。 /石巻市史編さん委員会 編『石巻市の歴史』 3巻、凸版印刷、1988年3月31日。 /小野寺豊、邉見清二『写真と地図で見る歴史蛇田事典 おらほの町の郷土史づくりプロジェクト報告書』石巻アーカイブ、2020年3月。関連項目
蛇田村
関連ページ
【参考】
町域名に「蛇田」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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4宮城県 | いしのまきし石巻市 | へびた蛇田 |
5秋田県 | ゆりほんじょうし由利本荘市 | いわきかみへびた岩城上蛇田 |
5秋田県 | ゆりほんじょうし由利本荘市 | いわきしもへびた岩城下蛇田 |
16富山県 | うおづし魚津市 | へびた蛇田 |
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