「愛知県 岡崎市 木下町」について
郵便番号 | 〒444-3433 |
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住所 | 愛知県 岡崎市 木下町 |
読み方 | あいちけん おかざきし きくだしちょう |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
23202 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
− |
- 「愛知県 岡崎市 木下町」の読み方は「あいちけん おかざきし きくだしちょう」です。
- 「愛知県 岡崎市 木下町」の郵便番号は「〒444-3433」です。
- 「愛知県 岡崎市」の地方公共団体コードは「23202」です。
「木下町(岡崎市)」の概要 from Wikipedia
木下町(きくだしちょう)は愛知県岡崎市額田地区の町名。難読地名として知られる。丁番を持たない単独町名であり、19の小字が設置されている。
地理
岡崎市東部に位置する。町内のほぼ全域は基本的に森林であり住宅地、水田は河川沿岸及び道路沿いに僅かに見られるのみであり、限界集落になっている。
河川
乙川
世帯数と人口
2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通り。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
歴史
額田郡木下村を前身とする。
地名の由来
乙川を通じて都へ運ぶ木を流したことから、木を下す村と名付けられたものであるという。『参河志』および『寛永郷帳』では「木野下」の表記を採る。また、「きくたし」や「きぐたし」の読みも見られるという。
沿革
江戸時代初期 - 岡崎藩領の村として所在。
正保2年 - 幕府および岡崎藩の相給となる。
天和元年 - 志摩国鳥羽藩と岡崎藩の相給となる。
享保10年 - 岡崎藩の単独支配となる。
宝暦12年 - 幕府領となる。
明和7年 - 幕府と岡崎藩の相給となる。
1874年(明治7年) - 村内東向寺において、桜形学校分教場が開設されるが、1876年(明治9年)に千万町村の興福寺に転出する。
1889年(明治22年) - 巴山村に編入され、同村大字木下となる。
1890年(明治23年) - 栄枝村への改称に伴い、同村大字木下となる。
1906年(明治39年) - 宮崎村編入に伴い、同村大字木下となる。
1956年(昭和31年) - 額田町編入に伴い、同町大字木下となる。
2006年(平成18年)1月1日 - 岡崎市へ編入し、同市木下町となる。交通
道路/愛知県道333号切山夏山線/乗合タクシー/岡崎市乗合タクシー/宮崎地区線(のってこバス)
旧跡
東向寺/神明宮
日本郵便
郵便番号 : 444-3433(集配局:額田郵便局)。
参考資料
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。 /有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 978-4582490237。
関連項目
岡崎市の地名/中部地方の難読地名一覧
関連ページ
【参考】
町域名に「木下町」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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4宮城県 | しばたぐんしばたまち柴田郡柴田町 | つきのきしもまち槻木下町 |
18福井県 | ふくいし福井市 | きのしたちょう木下町 |
23愛知県 | おかざきし岡崎市 | きくだしちょう木下町 |
24三重県 | かめやまし亀山市 | このしたちょう木下町 |
25滋賀県 | おおつし大津市 | きのしたちょう木下町 |
26京都府 | きょうとしかみぎょうく京都市上京区 | かみきのしたちょう上木下町 |
26京都府 | きょうとしかみぎょうく京都市上京区 | しもきのしたちょう下木下町 |
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