「熊本県 宇土市 長浜町」について
郵便番号 | 〒869-3171 |
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住所 | 熊本県 宇土市 長浜町 |
読み方 | くまもとけん うとし ながはままち |
この地域の 公式HP |
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地図 | |
地方公共 団体コード |
43211 |
最寄り駅 (基準:地域中心部) |
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周辺の施設、 ランドマーク等 |
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- 「熊本県 宇土市 長浜町」の読み方は「くまもとけん うとし ながはままち」です。
- 「熊本県 宇土市 長浜町」の郵便番号は「〒869-3171」です。
- 「熊本県 宇土市」の地方公共団体コードは「43211」です。
「長浜町(宇土市)」の概要 from Wikipedia
長浜町(ながはままち)は熊本県宇土市の町丁。旧肥後国宇土郡長浜村、宇土郡網田村大字長浜、宇土市大字長浜。郵便番号は869-3171。人口は785人、世帯数は368世帯(2024年3月31日現在)。丁目を持たない単独町名。住居表示は全域で未実施。
地理
市の西部で有明海沿岸に位置している。北側で有明海、北東で住吉町、東で網津町、南東で網引町、南側で上網田町と接している。有明海の沿岸部に沿って国道57号や三角線が通っており、当地には肥後長浜駅が存在する。
また当地には小池、長浜東、長浜中、長浜西の一、長浜西の二、浦小松、笠瓜の行政区が設置されている。小字
1871年(明治4年)時点での小字は以下の通り。
小池(をいけ)/多出迫(たでのさこ)/井崎(ゐざき)/牧道(まきのみち)/除平(よけのひら)/東(ひがし)/西(にし)/小松(こまつ)/新地(しんち)/浦(うら)/大迫(おほざこ)/亀迫(かめざこ)/十郎迫(じうらうざこ)/南平(みなみひら)/鍋倉(なべくら)/南笠瓜(みなみかさうり)/北笠瓜(きたかさうり)/要(かなめ)/旧牧神(きうまきじん)/着到場(ちゃくたうば)/小池平(こいけびら)歴史
長浜という地名は南北朝時代から見られる。貞治5年に二条良基の家にて行われた歌合を記した『年中行事歌合』にて腹赤御贄と題する四辻善成の歌には「はつ春の千代のためしの長浜につれるはらかも我君のため」とある。腹赤御贄の由来となったのは景行天皇が当地に寄った際、住民が腹赤という魚を奉った事によるとされる(腹赤の奏の項も参照)。また、かつては郡浦手永に属しており、小村に浦村、笠瓜村が見える。笠瓜村の地名の由来は景行天皇の巡視の際に住民が瓜を笠に盛って献じた事によるという説がある。
1694年(元禄7年)の調査では、村高一八六石余り、田畑畝数一七町余りあるのに対し、田方は九反余りが海岸部の新地として存在するのみであった。船数は19艘あり、漁業よりも近海での小取引が盛んであった事が認められる。島原大変肥後迷惑による被害
寛政4年4月1日の島原大変肥後迷惑では津波の影響により郡浦手永は、被害を受けた飽田郡、玉名郡、宇土郡の手永の中で玉名郡荒尾手永に続き二番目に甚大な被害を受けた。また、郡浦手永内で見ると戸口浦村と長浜村における被害が突出しており、流出家屋105軒、溺死390人という惨事となった。長浜村単体の被害について後年郡代は、/と記している。以下の表は1791年(寛政3年)、1815年(文化12年)、1837年(天保8年)間の長浜村の村勢の推移を示したもの。
人口は津波後に半減したものの、22年後には335人まで回復している。津波の前は20頭いた牛馬は全頭が流されており、牛を借りてでも利用するという姿勢が人口を回復させるに至ったとわかる。救済措置
寛政4年には川尻御蔵に納入されるはずだった長浜村の小麦年貢を全額納入免除した。津波後まもなく流出家屋に対して家屋の援助があったとされるが、史料的には郡浦手永よりも比較的被害の小さかった松山手永の救済策のほうが目立つ。このように郡浦手永が目立った策を打ち出せなかったのは惣庄屋の病気と借銭返済の停滞による。熊本藩当局は寛政6年から寛政12年までの七年で銭30貫を貸し付け、天明5年の借銭の返済と津波被害復旧に充てさせた。しかし、郡浦手永ではさらなる借銭を抱えたのに加え、疫病の流行が発生した事により、三角浦村や長浜村は零落村となった。零落村となった村に対して年中行事の制限などをかけ、倹約させた。
沿革
江戸時代頃 - 宇土郡長浜村。
1889年(明治22年) - 網田村の大字となる。
1958年(昭和33年) - 所属が宇土市となる。
1966年(昭和41年) - 長浜から長浜町に変更される。地名の由来
長く広い砂浜の地形によるとされる。
人口と世帯数
2024年(令和6年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通り。
行政区ごとの人口
行政区ごとの人口は以下のようになる。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
道路
国道53号
鉄道
JR九州三角線/肥後長浜駅
バス
産交バス/宇土駅前→赤瀬~東港→三角産交
施設
肥後長浜駅/浦天満宮/セブンイレブン 宇土長浜町店
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 43 熊本県』角川書店、1987年12月8日。ISBN 4-04-001430-8。 /宇土市史編纂委員会 編『新宇土市史 通史編 第2巻(中世・近世)』宇土市、2007年。全国書誌番号:21285673。 /宇土市史編纂委員会 編『新宇土市史 資料編 第1巻(絵図・地図)』宇土市、1999年。全国書誌番号:99077418。
関連項目
宇土市
外部リンク
宇土市役所
関連ページ
【参考】
町域名に「長浜町」が含まれている住所一覧
都道府県 | 市区町村 | 町域. |
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4宮城県 | いしのまきし石巻市 | ながはまちょう長浜町 |
15新潟県 | かしわざきし柏崎市 | ひがしながはまちょう東長浜町 |
15新潟県 | かしわざきし柏崎市 | ながはまちょう長浜町 |
26京都府 | きょうとしなかぎょうく京都市中京区 | ながはまちょう長浜町 |
32島根県 | はまだし浜田市 | ながはまちょう長浜町 |
32島根県 | いずもし出雲市 | ながはまちょう長浜町 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうじょろまつこう長浜町上老松甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうしもすかいこう長浜町下須戒甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうにぎゅうこう長浜町仁久甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうこんぼうこう長浜町今坊甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょういずみおつ長浜町出海乙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょういずみこう長浜町出海甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうおおごしこう長浜町大越甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうたくみ長浜町拓海 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうはるみ長浜町晴海 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうくしゅうへい長浜町櫛生丙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうくしゅうおつ長浜町櫛生乙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうくしゅうこう長浜町櫛生甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうおきうらへい長浜町沖浦丙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうおきうらおつ長浜町沖浦乙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうおきうらこう長浜町沖浦甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうほづみおつ長浜町穂積乙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうほずみこう長浜町穂積甲 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうあおしま長浜町青島 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうすさわへい長浜町須沢丙 |
38愛媛県 | おおずし大洲市 | ながはまちょうくろんたこう長浜町黒田甲 |
40福岡県 | きたきゅうしゅうしこくらきたく北九州市小倉北区 | ながはままち長浜町 |
40福岡県 | みやこぐんかんだまち京都郡苅田町 | ながはまちょう長浜町 |
43熊本県 | うとし宇土市 | ながはままち長浜町 |
44大分県 | おおいたし大分市 | ながはままち長浜町 |
45宮崎県 | のべおかし延岡市 | ながはままち長浜町 |
46鹿児島県 | あまみし奄美市 | なぜながはまちょう名瀬長浜町 |
- 同じ町域内で複数の郵便番号がある場合、別々にリスト表示しています。